「博文約礼」という四字熟語にある「博」についての再考です。
「博」、そして博に含まれる漢字も合わせると何度も調べましたが、納得のいく結論に達することができませんでした。
今回、これまでの記事を読み返したり、調べ直したりしているうちに、なんとなくですが、自分なりに納得のいく答えが見つかったように思っています。
これまでの記事に加筆・修正しようかとも思いましたが、更にややこしくなる可能性が大ですので<苦笑>、一から記していきたいと思います。
まず、「博」の成り立ちに関してどんな問題点があったのかというと次の2点です。
1.左側の字形が「甲」「厂」「干」「戈」「十」と複数あり、その関連性がつかめなかった。
2.「尃」を「甫+手」に分け、「甫」の成り立ちについて考えたことで問題を難しくした。
では、この2点について説明していきますが、説明の都合上、2から説明します。
「尃」は「フ」と音読みします。「敷」の原字と見られていて、「敷く、広げる」といった意味があります。
この「尃」は「甫」と「寸」に分けることができますが、これを分けて考えるとややこしくなってしまうことに気づきました。というのも、「甫」の成り立ちには2系統あるためです。
①「屮」+「田」
②「父」+「用」
「甫」は最初①の組み合わせでしたが、それがある時代に②の組み合わせが加わりました。わたしはそれを字形の変化と思っていましたが、そうではなく、別の意味を持った別系統の組み合わせと考えたほうがよかったように思います。
元に戻って、「尃」の成り立ちを古い字形で見てみると、

であり、これは左側が①の組み合わせ「屮+田」で、右側が「寸」になります。従って②の組み合わせのことまで考える必要はなかったことに気づきました。
なお、「博」の古い字形に右側が②の組み合わせ+「寸」のものもありますが、それはその時代にまだ①の字形が見つかっていなかったためだと考えていいと思います。
次に、1の古い字形を「甲」・「厂」・「干」・「戈」・「十」+「尃」の組み合わせで時代順にみていきます。
*字形は『小學堂|字形演變󠄀』からお借りしています。





最初は「甲」で「よろい(鎧)」という身を守るための防具のことを表わします。
「十(10))」ではありません。
2番目の字形は、「がんだれ(厂)」といって崖(がけ)の意味を表わします。なぜこの字形が使われたのかについてはわかりませんでした。ちなみに「岸」の一番古い(と思われる)字形に「厂」のようなものがあり、「岸」には「干」が含まれているので、何か関係があるのかもしれません。
3番目と4番目は「干」と「戈」の古い字形です。「干」は「たて(盾)」で防御のためのもの、「戈」は「ほこ」で武器の一種です。
そして、最後の「縦棒に黒点」のような字形がいわゆる「十(10)」を表わします。
以上のような複数の組み合わせがなぜできたのか、それを証明する文献や資料は見つかりませんでしたが、「もしかしたら?」と思える記事がありましたので、紹介します。それは「六博(りくはく)」に関するものです。
”中国古代の双六(すごろく)の類の盤上遊戯。その起源は,他の盤上遊戯同様,占卜(ボクセン、占いのこと)と関係があったと思われる。6本の細長い箸(チョ、さいころの類)を投げ,その出た目によって局(碁盤)の上で棊(キ、こま)を動かして勝負を決める。棊は短い角柱状で,6個ずつ白と黒に分かれ,計12個あった。具体的な動かし方は不明。春秋・戦国のころから行われ,漢代に入って最も流行した。”
『コトバンク』執筆者:稲畑 耕一郎、出典:株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」
”古代には囲碁のほかにも、その当時人気だった二人で対戦する知的遊戯がいろいろあり、多くの人々がそれらの遊戯を楽しんでいました。「六博」は卜筮と博弈が融合したもので、天命を象徴しています。”
”「六博」は中国古代に流行した棋戯(駒を用いる遊戯)の一種で、その起源は殷代(紀元前1600-紀元前1046)まで遡る。『逸周書』によれば、商王(紀元前12世紀頃)は偶人(人形)と対戦したと記されており、早期の宗教的色彩が感じられる。戦国時代(紀元前476-紀元前221)と漢代(紀元前206-紀元後220)になると、六博は貴族から庶民まで誰もが好む娯楽になった。”
『囲碁にまつわる物語ー中国古代の囲碁文化ー多種多様な知的遊戯』国立故宮博物院
「尃」は「敷」の原字とも言われていますので、「尃」を「敷物=盤」と見なし、それに「遊戯=賭け事=戦い」を表わすために、「甲」「干」「戈」が組み合わされ、盤上での戦いを表現しようとしたのではないでしょうか。
「博」の意味に、「すごろく(双六)、ばくち(博打・博奕)、ばくちをする。」といった意味があることもこれで納得できました。
「厂」については「甲」「干」「戈」との関連性が不明のため、説明できませんが、なんらかの関連性があるのではないかと思っています。
「六博」は漢代(紀元前206-紀元後220)頃まで楽しまれていたようですが、その後時代の変遷とともに廃(すた)れていったようです。
それが原因かどうかはわかりませんが、「尃」の組み合わせとして使われた「甲」「厂」「干」「戈」の字形もその後見られなくなりました。
一方、「十(10)」の古い字形との組み合わせの「博」が作られた時代は戦国時代ごろと考えられ、周の王権は衰え、各地に有力な諸侯が現れ、互いに覇を競った時代であったようです。また、戦国時代の前の春秋時代は孔子が儒教の成立に尽力した時代でもあり、多くの思想家がいた時代でもあります。
そのような時代にあっては、広い知識を持った思想家たちの存在が重要となり、そういった思想家たちのことを表わすために、「十(多くの)」+「尃(広がる)」=「博(広く通じる)」ができたのではないかなと思います。そして、「甲」「厂」「干」「戈」の字形が見られなくなってからは、「十(10)」に統一され、今に至っています。
以上で「博」についての再考を終わりたいと思います。
最後になりましたが、「博」や博に関するわたしの記事のリンク先を付しておきます。
https://kanyousha.jp/re-study-kanji-4267/
<甫:漢検準1級:2023年8月17日>
https://kanyousha.jp/re-study-kanji-4267-4264-4549-26521-3817/
<「甫」再考と「圃」「用」「甬」「同」:2025年5月1日>
https://kanyousha.jp/re-study-kanji-3978-5783-4163-3276/
<「博」と「搏󠄀」「敷」「専」:2025年5月6日>
*参考資料:
『「博」のはなし:かんじのはなし』yumemivision
https://yumemivision.blog.jp/archives/15099982.html
『「棋」のはなし:かんじのはなし』yumemivision
https://yumemivision.blog.jp/archives/25297807.html
『=論説=漢代の画像に見える六博について』渡部 武、早稲田大学リポジトリ
https://waseda.repo.nii.ac.jp/records/2001382
『囲碁にまつわる物語ー中国古代の囲碁文化ー多種多様な知的遊戯』国立故宮博物院
https://theme.npm.edu.tw/exh114/AncientGoCulture/jp/page-7.html#main
『漢字源流|中華語文知識庫』<博>
https://www.chinese-linguipedia.org/search_source_inner.html?word=%E5%8D%9A
『漢字源流|中華語文知識庫』<敷>
https://www.chinese-linguipedia.org/search_source_inner.html?word=%E6%95%B7
『漢字源流|中華語文知識庫』<專(専)>
https://www.chinese-linguipedia.org/search_source_inner.html?word=%E6%95%B7
『小學堂|字形演變󠄀』<博>
https://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/yanbian?kaiOrder=2471
『小學堂|字形演變󠄀』<搏>
https://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/yanbian?kaiOrder=3025
『六博』コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%85%AD%E5%8D%9A-663448#goog_rewarded
『囲碁の名称「棋」と「弈」』烏天狗クーロン
*注:この記事を全文読むためには有料になります。
https://note.com/curon154/n/n12d7fa10a313

コメント