「博」と「搏󠄀」「敷」「専」

 「博学審問」という四字熟語について調べていたところ、「博」の成り立ちについていろいろと興味深いことがわかりました。また、「搏󠄀」や「敷」、「専」との関係でも面白いことがわかりましたので、合わせてまとめてみたいと思います。


音読みは、ハク・バク
訓読みは、ひろーい、ひろーめる
意味は、大きく広がったさまを表す他、いちかばちかでやってみて、うまく当てる、という意味があったり、ばくちをうつ(金品をかけて勝負すること)という意味もあります。

成り立ちについては、いくつかの説があってどれが正しいのかわかりませんが、今の字形「博」を元にすると、
十+尃
 「十」は漢数字の「十(ジュウ、とお)」で数字の「10」のことなんですが、「十」の一番古い字形は縦の線だけで横の線はありません。のちに、縦の線の真ん中部分を丸くふくらんで描くようになり、それが今の「十」という字形になったようです。ですので、辞書の解説では、「集める」「四方(東西南北の四つの方向のこと)」「多い」といった意味だとして、いわゆる「10」であるとは書いてありません。『字統』によると、「博」は元は「干(カン、*武器の象形で盾[たて])+尃」だとして、「干→十」というふうにみているようです。
 また、「博」の古い字形では、「十」は左ではなく、右側に描かれています。これも何かのヒントになりそうです。
 「十」については、中途半端ですが、一旦ここまでにします。

 次に「尃」ですが、
甫+寸
という組み合わせのようです。なお、「尃」の成り立ちの詳細については、「出直し!漢字学習」の「甫の再考と、圃・用・甬・同」と「甫:漢検準1級」を見ていただくとして、いくつかの辞典の成り立ちを比較します。

『角川新字源 改訂新版』
・形声。寸+音符甫(フ)。しきのべる意。「敷(フ)」の原字。
『新漢語林 第二版』
・音符の尃(フ)は、田のなえを広く植えるの意味。ひろいの意味を表す。
『漢字源 改訂第五版』
・甫は、圃の原字で、平らで、ひろい苗床。尃(フ・ハク)は、平らにひろげること。
『Wiktionary』
・形声(「又」(戦国時代以降は「寸」と書かれる)+音符「(屮田) 」。「しく」を意味する漢語「敷 」を表す字。
音符の「(屮田)」は「圃」の原字。『説文解字』では「甫」と説明されているが、これは誤った分析である。金文の形を見ればわかるように「甫」とは関係がない。
「甫」とは無関係のため、本来「尃」に点はつかず初唐楷書までは「博」「縛」「敷」などは点がない「専」に従って書かれてきた。中唐代で『説文解字』の誤った解釈により「甫」に従うとされ「尃」の字体になった。

 どれが正しいのかわかりませんが、「尃」は「敷」と関係があるということと、もしかしたら、「尃」は「専」と書かれていて、長い年月の間では意味の混同があったのではないかと考えました。そこで、「博」「搏󠄀」「敷」の、同時期と思われる古い字形をみてみると、ほぼ同じ字形でした。また、少し違いはありますが、「専」も似たような字形です。
 「敷」のやや古い字形は、左下の「方」が「寸」と書かれていて、「尃」と同じです。「博」の古い字形は左にある「十」が右側にあり、「敷」の「攵」と位置関係が同じです。

 ここで、「専」についてみてみます。

・会意。叀+寸。叀は、糸まきの象形。糸を糸巻にまきつけるの意味から、転じて、一つの中心をめぐる、もっぱらの意味を表す。『新漢語林 第二版』

 他の辞典でも、成り立ちについては同じような見方でした。ただ、「専」がなぜ「もっぱら、ひたすら」という意味として使われるようになったのかについては、見方が違っています。

・かたく巻きつけることから、転じて「もっぱら」の意に用いる。『角川新字源 改訂新版』
・紡錘は、何本もの原糸を一つにまとめ、かつ一か所にとどまり動揺しないので、そこから専一の意を生じた。『漢字源 改訂第五版』
・糸を糸巻にまきつけるの意味から、転じて、一つの中心をめぐる、もっぱらの意味を表す。『新漢語林 第二版』

 他にも説がありますが、なかなか納得できる説がありませんでした。それで、いろいろと調べているうちに、いくつかのヒントを得ることができましたので、それを紹介します。

「先秦時代の紡績は、当初は麻などの植物繊維が用いられたが、新石器時代の遺跡からは繭が発見され、殷代には絹が使用されていたことは明らかである。殷代の絹織物は彩色や技巧などの品質が高く、装飾性の高い衣裳や布製品が生産されていたらしい。こうした製品の制作には女性が関係していたと考えられ、戦国時代成立の『呂氏春秋』にはすでに「男耕女織」の概念が示されている。発掘調査によると、殷墟の孝民屯東南地の墓地のように女性が紡績ではなく青銅器製造にかかわっていたとされる例もあり、『詩経』には桑の葉の採集を男性が行っていた記述もある。実際には様々な状況が存在した中で、春秋戦国時代に女性の職掌の象徴としての「紡績」という観念が成立したと考えられる。」
「考古学からみた先秦時代のジェンダー構造」内田純子(2018年)

「竹内晶子氏著『弥生の布を織る』の中では、30cm幅で長さ2m、糸の密度が1cmあたり20本の布を作るのに必要な糸の長さは約1,500mと計算されています。これだけの糸を紡ぐには、相当の労力が必要であったことは想像に難くありません。
『糸を紡ぎ、布を織ること』團 奈歩、岡山県古代吉備文化財センター 

「又、そういった編物と木槌などが一緒に出土している遺跡もあり、これらは木槌で叩いて風合いを改善させたのではないかと思わせるものです。」
『原始布の原料VOL.6』株式会社チクマ

 それからもうひとつ思いついたことがあります。

「尃」の上の部分「甫」の古い字形の成り立ちに「屮(芽ばえ)+田」がありますが、この「屮」を「芽」ではなく、「専」の古い字形で、糸を撚(よ)ったときの端のほうの形であるとすると、「尃」と「専」も混同されて用いられていたのではないかと推測しています。

 以上のことを参考にしてわたしなりに思いついたことを勝手な思いつきとしてまとめてみます。

・糸を紡ぐ作業というのはたいへんな作業で、一時期それにかかりっきりになることや単調な作業であることから、「ひたすら」という意味が当てられた。
・男耕女織という作業分担の一例として、「もっぱら」という意味が当てられた。

 以上、やや支離滅裂な覚え書きになってしまいましたが、最後に表題について箇条書きにしてまとめてみたいと思います。これも勝手なおもいつきですので、その点ご了解ください。

・「博」「搏󠄀」「敷」は元となる古い字形がよく似ていることから混同されて使われていたため、その意味を限定的にするため、「十」「扌」「方」「攵」を加えた。
・「甫」には、「屮(芽ばえ)+田」「父+用」の2つの成り立ちがあり、意味が多様化した。
・「尃」「専」の古い字形もよく似ているものがあり、点の有無で意味の違いをわかりやすくした。

 漢字は一夜にしてできたものではなく、長い年月をかけてできたものだと思います。また、今のように簡単に移動できる時代ではなかったため、ちょうど方言のような感じで、表し方が違っていたんだと思います。
 古い字形から今の字形に至るまで、ほとんど変化がない漢字については、説明もしやすいのですが、今回のような漢字は、その時代時代の生活や文化も成り立ちの背景にあることから、なかなか理解しにくかったですが、なんとか自分なりに答えを見つけることができました。
 現在、約4500の甲骨文字が見つかっているそうですが、解明されているのは約半分ぐらいとのことです。また、今まで正しいと思われてきた成り立ちも、新しい発見や解読によって違ってくるかもしれません。ですから、子どもたちへの成り立ちの説明も、断定的ではなく、ひとりひとりが考えて納得できるようなヒントが与えられたらと思います。

*参考資料
「考古学からみた先秦時代のジェンダー構造」内田純子(2018年)*Wikipedia「男耕女織の文化」『中国の女性史』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%B2
『糸を紡ぎ、布を織ること』團 奈歩、岡山県古代吉備文化財センター
https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/636843.html
『原始布の原料VOL.6』株式会社チクマ
https://www.fukuiku.net/column/clothing/clothing02/1892.html
『かんじのはなし(yumemivision)』
 『専のはなし』https://yumemivision.blog.jp/archives/2023-08-05.html
 『尃』https://yumemivision.blog.jp/archives/15086557.html
『漢字源流ー中華語文知識庫』
https://www.chinese-linguipedia.org/search_source_inner.html?word=%E6%90%8F





 

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