前車覆轍(覆車之戒)

読み:ぜんしゃのふくてつ(ふくしゃのいましめ)

意味:先人の失敗は、後の人の戒めになるということ。

出典:『漢書』<賈誼(かぎ)伝>

解説①
 この四字熟語は、「前車の覆(くつがえ)るは、後車の戒(いまし)め」という、当時の世間一般で言われていたことわざとのこと。前の車がひっくり返ったら、その原因は車の轍(わだち)を見ればわかるので、注意しましょう、という意味です。
 これは、前漢時代、賈誼(かぎ)という学者・政治家が皇帝・文帝から国事について問われたとき、その得失について答えた中の一節です。
「世間の諺(ことわざ)に、『公務に携(たずさ)わることに経験が浅く慣れていないなら、前例に従って公務を行うべきである』といい、また、『前車の覆(くつがえ)るは、後車の戒(いまし)め』とあります。そもそも三代がどうして長く久しく続いたかは、それが前例に従ったからです。一方、これに従うことができない者は、聖智(せいち、あらゆるものに通じるすぐれた知恵・者)を見習いません。秦(しん)の世が短い間に滅びてしまった原因は、その行いを見れば、わかります。」と。
 三代というのは、古い順に、「夏・殷(商)・周」のことです。そして、周の次の時代が「秦」、その後が「前漢」になります。

解説②
 時代の流れを改めてみてみます。古い時代ですので、だいたいの流れがわかればいいと思います。
夏:紀元前2000年頃~紀元前1600年頃
殷:紀元前1600年頃~紀元前1050年頃
周:紀元前1050年頃~紀元前256年
 ー「戦国の七雄(秦・斉・燕・楚・漢・魏・趙の七つの国)」が争うー
秦:紀元前221年(始皇帝、中国統一)~紀元前206年
 -紀元前206年~紀元前202年(漢と楚が争い、漢の劉邦が楚の項羽を破る)ー
前漢:紀元前202年~紀元後8年
新:8年~23年
後漢:25年~220年

解説③
 秦、そして、始皇帝、というと、中国を統一、郡県制の施行、文字や度量衡(長さ・体積・重さ)の統一、などが挙げられ、「万里の長城」や「兵馬俑」も頭に浮かびます。
 一方、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)と言って、民間の書物(官の記録や医薬、農業、占いに関する書物を除く)を焼き捨て(焚書)、始皇帝に批判的な学者約460人を生き埋めにして殺し(坑儒)、学問や思想を弾圧して言論の統制を行いました。

解説④
 「轍」という漢字がありますが、これは音読みは「テツ」、訓読みは「わだち」と読みます。
 「わだち」とは「車が通ったあとに車輪の跡(あと)が残る・できる・現れる」ことで、その現象のことを「輪が立つ⇒輪立つ⇒輪立ち(わだち)」と言い、「轍」という漢字を当てたのだろうと思います。
 「轍」という漢字の成り立ちは諸説あって、どれが正しいのかわかりませんが、自分なりに納得できたのは『新漢語林』です。この辞書では、「車+徹の省略形」であるとしています。
 元となるのは「徹」という漢字で、「通る、突き通す」といった意味があり、おそらく「彳󠄀」が「車」になって、「轍」という漢字を作ったということだと思います。
 「轍」の成り立ちについては、自身のブログ「出直し!漢字学習」に詳細をまとめたいと思っています。
 

参考資料:
・『漢書4 列伝1<賈誼(かぎ)伝 第十八>』p544-563 班固 著、小竹 武夫 翻訳 筑摩書房
 *ちくま学芸文庫全8巻セット
・『山川 詳説世界史図録』山川出版社、2014年3月
 

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