轍:漢検準1級

四字熟語「前車覆轍」について調べているとき、この漢字の成り立ちに疑問が残ったため、このブログで思案してみたいと思う。

まず、いくつかの辞典の解説(字源・解字)に共通しているのは、

轍=車+徹の省略形

とし、「徹の省略形」を音符としている。

では、「徹」についてはどうなのか?

共通しているのは、

徹=彳+育+攴

なのだが、『新漢語林』と『字統』では、甲骨文字まで溯(さかのぼ)り、

鬲󠄀 ⇒ 育

又(手) ⇒ 攴(攵)

というように置き換わったとしている。

「攴」は、「卜(ボク)+又」で、『字統』によると、「卜」は木の枝の形で、木の枝でものを撃(う)つこと。他の辞典によると、「軽く、そっと、ぽんと、」打つこと、とのこと。いずれにしても、「又」が「攴」に置き換えられたことは納得できた。

しかし、なぜ「鬲󠄀」が「育」に置き換えられたのかがわからない。というのも、

鬲󠄀

は、音読みで「レキ、カク」、訓読みで「かなえ」。
古代中国の三本足の土器のことで、『旺文社世界史事典 三訂版』によると、
「足が袋状(中空)になっており,湯をわかしたり穀物を蒸したりした。」
とのこと。

なぜだかさっぱりわからないまま、あれこれ思案していたが、わからない。それで、もう一度、「鬲󠄀」という土器がどのように使われていたか、に注目したところ、

鬻󠄀

という漢字にたどり着いた。この漢字は、

粥+鬲󠄀

で、「粥」は、

弓+米+弓

「弓」は、いわゆる弓矢の「ゆみ」ではなく、お米を炊いたときの湯気の象形とのこと。「(お)かゆ」は、水を多く入れて米を柔らかく炊いた(煮た)もの。一般的に「粥」と書くのは省略形で、

鬻󠄀

が元の字(本字、あるいは原字)。更に、『新漢語林』にはこの漢字の異体字(俗字)もあり、

とのこと。これで、ようやく「鬲󠄀」と「育」の関連性がみえてきた。

そこで、勝手な推測ではあるが、「鬲󠄀」が「育」に置き換えられたのは、

「鬲󠄀」で「時間をかけてお米を煮炊きする様子」が

「育」の「時間をかけて子どもを大切に育てる様子」

と重なってみえた(思えた)のではないかと考えた。

一方、『新漢語林』の「徹」の解字では、

「会意。甲骨文は、鬲+又。鬲は、かなえの象形。又(手)を付し、食後のあとかたづけをするの意味を表す。常用漢字の徹は、彳+育+攴の会意文字。育は鬲の変形、攴は又の変形。一般に、事が最後のかたづけにまで行く、とおす・とどくの意味を表すようになり、彳を付した。」。

とし、

『字統」では、

「儀礼のとき、豆・鬲󠄀の類を多く用いるので、それを並べることを[鬲󠄀+又]とし、「彳󠄀」を加えて、並び終えることを、通徹という。」

としている。

う~~~ん、やはり、なんか「?」よくわからない。

鬻󠄀=俼

この2つの漢字を眺めていると、やはり、

お米を炊く=子どもを育てる

ことになんらかの共通性を見いだして、漢字を置き換えたんじゃないか。というのが自分なりの結論。

・・・ということで、結局、「轍」は、

轍=車+徹の省略形

で、「徹」は、

徹=彳󠄀+育+攵(攴)

であり、『講談社 新大字典』によると、

「彳󠄀+育+攴の合字。物に通達すること。攴はうつ、育ははぐくむ、彳󠄀は行く義。すなわちこの三つを合わせて、あるいは鞭(むち)打ち、あるいは育(はぐく)み、行き達せしむる義。」

*通達(つうたつ、つうだつ)する:
物事が順調に進む(通る)ことであったり、深くその道に達すること。

*育(はぐく)む:
親鳥が雛(ひな)を羽で抱いて育てることから、大切に守り育てる、大切に世話を
すること。

とあり、ようやく納得!

最後に、「轍」が含まれる熟語などで覚えておきたいものをいくつか挙げておきたい。

(テツ)を踏む

前の人と同じ失敗をすること。*この場合「わだち」と訓読みしない。

途轍(トテツ)もない

途轍の「途」は「道」で、途轍は「筋道」「道理」の意味。そこから、とてつもないは「筋道から外れている」ことを表し、「常識では考えられない」「並外れている」「とんでもない」という意味で使われるようになった。『語源由来辞典』より。

轍鮒之急(テップのキュウ)

危険や災難が差し迫っている(すぐ近くまで来ている)ことのたとえ。

*「鮒(ふな)」は、湖や沼、川にいる鯉(こい)に似た魚のこと。

故事:貧しかった荘周(そうしゅう)という人が、あるとき知人のところへ穀物を借りに行った。それを遠回しに断ろうとした知人は、「それならば近々領地から租税が入るから、それを貸してやろう」と言う。それを聞いた荘周はひどく怒って、「ここへ来る途中のことだが、轍(わだち)の水溜(た)まりの中で息を切らして苦しそうに呼吸をしている鮒(ふな)が私に水をくれと言った。私は、「これから南のほうへ行くところなので、着いたら、長江(揚子江)の水を引いてきてあげよう。」というと、その鮒は、「わずかな水さえもらえれば、命がつなげるというのに、そんなのんびりしたことを言われても困る。それを待っていたら、干からびて(水分がなくなって)、干物(ひもの)になってしまうではないか」「帰ってきたら、干物屋の店先でわたしを探すがいい」と言って怒っていた。今の私はその鮒と同じ気持ちだよと語った。
『明鏡ことわざ成句使い方辞典』を参考。

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