364:是非之心

読み:ぜひのこころ
意味:物事の是と非を正しく判別できる能力。
出典:『孟子』<公孫丑章句・上>

解説①:
 この四字熟語も、孟子と弟子の公孫丑(こうそんちゅう)との問答の中にあります。

 「人間なら誰でも人をあわれむ心があって、例えば、ヨチヨチ歩く幼子(おさなご)が今にも井戸に落ちそうなのを見かければ、誰しも思わず知らずハッとして駆けつけて助けようとする。これは、可哀想だ、助けてやろうとする一念から咄嗟(とっさ)にすることで、助けたことを理由にその子の親と近づきになろうとか、村人や友達からほめてもらおうとかのためでなく、また、見殺しにしたら非難されるからと恐れてのためでもない。」

 そして、もしそういうあわれみの心がない者は人間ではないと言っています。

 更に、
・悪を恥じ、憎む心のない者
・譲り合う心のない者
・善し悪しを見分ける心のない者
も、人間ではないと言います。

 一方、
・あわれみの心は”仁”の芽生え
・悪を恥じ、憎む心は”義”の芽生え
・譲り合う心は”礼”の芽生え
・善し悪しを見分ける心は、”智”の芽生え
とも言っています。そしてこの四つ(仁義礼智)の芽生えは、ちょうど人間に手足があるのと同じように生まれながらに備わっているものだと言っています。そして、

 「それなのに、自分にはそんな立派なことはできそうにないとあきらめるのは、自分を見下(くだ)すことである。だから人間たる者は生まれながらに自分に備わっているこの四つの心を育て上げて立派になろうと心に誓えば、ちょうど火が燃えつき泉が湧き出すように初めはごく小さいが、やがて大火ともなり大河ともなるようにいくらでも大きくなるものだ。このように育てて大きくしていけば、ついには天下をも安らかに治めるほどにもなるものだが、もしもそうしなければ、せっかくの芽生えも枯れてしまい、手近な親孝行ひとつさえも満足にはできない。」と、言っています。

解説②:
 解説①にもあるように、今回の四字熟語は四つ(仁義礼智)の心について理解をし、その中のひとつとして教えるという流れがいいと思います。
 この四つの心についての教えを、”四端説(したんせつ)”と言うようです。”四端”とは四つの端緒(たんしょ、物事のはじまり)という意味で、端緒はここでは”芽生え”という表現になっています。

解説③:
・善し悪しを見分ける心は、”智”の芽生え

ということですが、”智”とは、「頭のはたらき、物事を知り分ける能力」を意味しますので、善し悪しを見分ける能力(心)のこととなります。

解説④:
 この四字熟語のそれぞれの漢字についてですが、ここでは「是」以外の漢字について説明します。「是」については出直し!漢字学習のコーナーで別に解説しますので、そちらをご覧ください。

 まず、「心」ですが、これは心臓を象(かたど)った文字で、「こころ」の意味です。わたしが調べたかぎりではどの辞書の解説もほぼ同じでしたので、このような理解でいいと思います。

 「非」ですが、わたしが調べた限りでは2つの成り立ちに分かれるようです。どちらも象形文字ですが、
・羽が左右に背いている形
・人が背中を向けあっている形

 で、「羽」か「人」かの違いです。古い字形をどう見るかですが、「背いている」という点では同じですので、どちらでもいいと思いますが、わたしは、羽が左右に背いている形というのはどうもイメージできませんので、人が背いている形と見るのが自然かなと思います。そして、「北」という漢字も人が背中合わせに背いている形ですから、その派生形ではないかとみています。

 「之」ですが、わたしが調べた限りでは、ほぼ同じような意味と成り立ちですので、ここでは、『角川新字源 改訂新版』の成り立ちを紹介します。

「象形。足あとの形にかたどり、「ゆく」意を表す。借りて「これ」「の」の意の助字に用いる。」

ちなみに、これが「之」の古い字形です。

下の横線は出発点(始点)、上は足の形で「止」を表わしています。
 「止」には「止まる」という意味があるため、なぜ「之」に「ゆく」の意があるのかですが、おそらく「止」には「とどまる、一時的にとまる」という意味もあるため、それに出発点を示すことで、「ゆく」という意味を示したかったんだろうと思います。



 

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