読み:ぎょうてんふき
意味:心にやましいことがなければ、天に対して恥じることはないということ。
出典:『孟子』<尽心章句・上>
解説①:
この四字熟語は、次のような文中に出てきます。
君子(くんし)には三つの楽しみがある。
第一の楽しみとは、父も母もそろって健在で兄弟姉妹みな無事で息災であること。
第二の楽しみとは、天を仰いでは恥ずかしいことがなく、俯(ふ)しては誰に対しても後ろめたいことがないこと。
第三の楽しみとは、天下の秀才を門人として教育し、立派な人物に育てあげること。
そして、実はこの三つの楽しみの他に、最後に一言、孟子がこう言います。それは、
天下の王者になることは、その中に入っていない。
ことです。三つの楽しみには入っていませんが、「天下の王者になりたいなどとは思わずに過ごすこと。」も楽しみのひとつなのかもしれません。
解説②:
「君子」というのは、ここでは「学識、人格ともにすぐれた、道徳的にりっぱな人物。原義は、一般民衆よりも上位にあって、治政の立場に足る人のこと。」を言います。
子どもたちにとっては、普段使っている「~君(くん)」との違いに違和感があると思いますが、中国では「君(クン、きみ)」は王様をはじめとして、目上の人に対する敬意を表わす言葉として使われます。日本も古い時代は目上の人に対して使っていたようですが、現在は主に、対等または目下の人の姓や名などに付けて親しみや軽い敬意を表わす言葉として使われています。
「天」とは?と子どもたちに聞かれると、答えにつまってしまいますが<苦笑>、わたしが一番わかりやすかった説明は、「天空または天空に関する宗教的世界観を表わす語。民族、歴史の相違により多義であるが、一般的には神の住む理想郷と信じられている。」です。(出典:『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』コトバンクより)
「俯(ふ)しては」とありますが、これは「頭を垂れる、頭を垂れて下を向く」というような意味ですが、ここでは「天」に対する「地」のことを表わしていると思われます。「誰に対しても」はそのままの意味にとることもできるかと思いますが、「地の神」と理解することもできると思います。
いずれにしても、神さまを含め、誰に対してもというふうに理解するといいと思います。
解説③:
ここでは「天に対して恥ずかしいことはない。」ことを「楽しみ=良いこと」としています。もちろんそれはそれで孟子が言いたかったことなんだとは思いますが、一方、『尽心章句・上』の第一章で次のようなことを言っています。
「人間にそなわるままの心の芽生えである惻隠・羞悪・辞譲・是非の心を失わないように努め、このような人間の善なる本性を養い育てていくのは、天の意志にかなったことで、つまり天に事(つか)えるということになるのである。」『孟子』新釈漢文大系より。
「惻隠・羞悪・辞譲・是非の心」。この四つの端(芽生え・きざし)のことを「四端(したん)」と言うそうです。
・惻隠(そくいん)の心:他人の不幸を見て、心が痛む、助けたいと思う心。
・羞悪(しゅうお)の心:自分の行いや他人の行いの不当な部分を恥じ、許せないと思う心。
・辞譲(じじょう)の心:他人を立て、自分をへりくだる心。
・是非(ぜひ)の心:物事の善悪を判断する心。
そして、惻隠の心は「仁」の芽生え、羞悪の心は「義」の芽生え、辞譲の心は「礼」の芽生え、是非の心は「智」の芽生えであるとしています。
青色のマーカー部分にあるように、前提として、自分がしたこと、していることが正しいかどうか、もしかしたら間違っているんではないかと内省する習慣を身につけることが大切だと言っています。
その上で、間違っていた場合は、それを恥ずかしいことと感じ反省をする。何も問題がないと判断できれば、それが「三つの楽しみ」のひとつになると思います。
解説④:
「仰天不愧󠄀」の四つの漢字のうち、「仰」「天」はここで解説し、「不」「愧󠄀」については、出直し!漢字学習のコーナーで別に解説します。
まず、「仰」の意味ですが、基本的に「見上げる」という理解でいいと思います。下から上を見るということから、「尊敬する、慕(した)う」というような意味でも使われますし、「たかい」という意味にも使われるようです。
成り立ちですが、わたしが調べたかぎりでは、ほぼ同じでした。
「亻󠄀(人)」+「卬(ゴウ、ギョウ、あおーぐ、たかーい)」
「卬」は、左が立っている人で、右が跪(ひざまず)いている人だということです。右側の人が左側の人を見上げている様子からできているそうです。それに「亻󠄀(人)」を加えて、「迎」や「抑」といった漢字と区別しやすいように、あるいは意味を特定しようとしたんだと思います。
なお、「仰」「迎」は「卬」との組み合わせですが、「抑」については、「卬」+「扌(手)」ではなく、「印」+「扌(手)」のようです。また、「迎」は「迎える、出迎える」という意味で使われますが、『かんじのはなし(yumemivision)』によると、元は「出会う」という意味の部類の漢字だとのことでした。
それで気になって「卬」について改めて調べ直してみました。すると、『新漢語林 第二版』は「卬」の最初の意味として、「のぞむ(望)。欲する。願う。遠くを見る。」が挙げられています。また、『漢字源流|中華語文知識庫ー迎ー』の解説(訳文)によると、「『説文』によると、”卬”の本来の意味は、”何かが来ることを願う”ことであり、”迎”は迎える人が来ることを願う”という意味である。」としています。
このことから、「仰」はどちらかというと動作や形態(状態?)を元にして意味が展開していきますが、「迎」の場合は、望む、願うといった心情を表わし、そこから意味が展開しているのかもしれません。そして、望みや願いが実現したとき、それが偶然の「出会い・出合い」であったり、好ましくない場合には、争いの相手となったりしたため、そういった意味にも使われたのかもしれません。
いずれにしても、「仰」については、最初に説明した意味の理解でいいと思います。
次に「天」についてです。一般向けの漢字辞典だと意味が多岐にわたり、多すぎるため<苦笑>、子ども向けの『例解学習漢字辞典第七版』小学館を参考にします。
①空。大空。 対義語:地。 例:天気。
②最高の神。 例:天子、天主、天帝。
③神々が住むといわれる所。 例:天国。
④自然のさだめ。 例:天災、天罰、天命。
⑤生まれつき。 例:天才、先天的。
⑥高い所。 例:天井。
ここでは、②や③になるでしょうか。
「天」の成り立ちですが、これも同辞典から引用します。
「大の字に立った人の頭の上に、一本の線をつけて頭上の高い所のようすをしめした。高く広がる大空を表わす。」としています。このような理解でいいと思います。
参考までに、二種類の古い字形を挙げておきます。


元々は、人の頭の部分を大きく描くことで「天」の意味を表わそうとしたのか、あるいは天にいると信じられていた神さまを表わそうとしたのか、定かではありませんが、いずれにしても、頭を大きく描いたものを見て「天」の意味だと推察するのが難しかったんだろうと思います。あるいは、骨に刻むとき、頭の部分を丸く描くより、一本の線のほうが刻みやすかったのかもしれません。
*参考資料:
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9-102026#goog_rewarded
『かんじのはなしー2023年01月22日ー』yumemivision
https://yumemivision.blog.jp/archives/2023-01.html?p=2
『漢字源流|中華語文知識庫ー迎ー』
https://www.chinese-linguipedia.org/search_source_inner.html?word=%E8%BF%8E

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