読み:かっけいぎゅうとう
意味:とるにたりないことを、大げさな方法で処理することの戒め。
出典:『論語』<陽貨第十七>
解説①:
まずこの四字熟語が含まれている文章の書き下し文と現代語訳をみてみます。
*『論語』加地伸行氏より。
<書き下し文>
子 武城に之(ゆ)き、弦歌の声(せい)を聞く。夫子(ふうし) 莞爾(かんじ)として笑いて曰く、鶏を割(さ)くに、焉(いずく)んぞ牛刀を用いん、と。子游対(こた)えて曰く、昔者(むかし) 偃󠄀(えん)や諸(これ)を天子に聞けり。曰く、君子 道を学べば、則(すなわ)ち人を愛し、小人 道を学べば、則ち使い易し、と。子曰く、二三子(にさんし)、偃󠄀の言、是(ぜ)なり。前言は之を戯(たわむ)るるのみ、と。
<現代語訳>
老先生が[子游が長官をしている]武城を訪れられたとき、家々から楽器に乗せて詩が歌われているのが聞こえた。老先生はにっこりとお笑いになってこうおっしゃられた。「[武城程度の街に満街礼楽とは。礼楽は国政用なのにな。]鶏(小さい武城)を料理するのに、どうして牛刀(国政用の礼楽)を使うのか」と。子游はこうお答え申し上げた。「昔、私めは先生からこう学びました。[礼楽を通じて、]教養人は、道徳を身につけると人々を大切にするようになる。知識人も道徳が身につくと年長者の意見に従うようになる」と。老先生はおっしゃった。「弟子たちよ。偃󠄀(子游)君のことばはそのとおりだ。先ほどの私のことばは、冗談、冗談」と。
武城(ぶじょう):
魯(ろ)という国にあった街のひとつ。孔子の弟子の子游(しゆう)は当時この街の長官をつとめていた。
夫子(ふうし):
昔、中国で、大夫以上の人に用いた敬称。また、長者・賢者・先生などを敬っていう語。ここでは孔子のこと。
莞爾(かんじ):
にっこりと笑うさま。ほほえむさま。
焉んぞ(いずくんぞ):
どうしてそうするのかと、原因や理由について問う反語表現。
偃󠄀(えん):
孔子の弟子の子游のこと。子游は字(あざな、通称)で、姓は言(げん)、名は偃󠄀(えん)。自分のことを指して言っているので、偃󠄀と言っています。
諸(これ):
「もろもろの、多くの、さまざまな」という意味の「諸(ショ)」ですが、ここでは、人・物・事を指す近称の指示詞「これ」として使われています。「之於(シオ)」=「諸(ショ)」と発音が近く、一字で表わすことができるので、言い換えられたようです。
二三子(にさんし):
孔子に付き添ってきている弟子たちのこと。
解説②:
この四字熟語の意味は「とるにたりないことを、大げさな方法で処理することの戒め。」となっていますが、当時の魯国の政治情勢が背景にあり、ことばの裏に深い意味が込められているようです。
『論語集注』では、孔子と子游のやりとりを次のように補足説明しています。
”子游が唱えた内容は、孔子が常日頃言っていることであった。
君子であっても小人であっても、みな学ばずにすむものではない。それゆえ武城は小さい村であるが、礼楽を教えることが必要なのである。
孔子は子游の篤実さを称え(たたえ。ほめる、賞賛する)、さらに門人たちの迷いを解いたのである。
治める地域には大小の差がある。しかし統治する際に必ず礼楽を用いるということについては、道としての区別は無い。ただ人々の多くはこれを用いることができず、子游だけがこれを実践した。それゆえはからずも弦歌を耳にした孔子は深くこれを喜んだ。そこでその気持ちと逆に戯れの言葉を発してみたところ、子游は真正面から答えた。それゆえまた彼の言葉を肯定して、自ら戯れたことを認めたのである。”
一方、荻生徂徠という人は違った見方をしています。
”子游が武城の宰となったのは急務があったからだが、彼自身は知らなかった。礼楽による政治は、常法によったもので、迂遠(うえん、すぐには役に立たない)とも言えるものである。それゆえ孔子は「鶏を割くのにどうして牛用の刀を用いようか」と微言(微妙な言葉で重要な内容を暗示する)したのであるが、子游は悟らなかったので、あえて前言を戯れとして、真意を言わなかったのである。当時の魯は公室が弱く*三桓氏が専横(せんおう、好き勝手に振る舞うこと)していて、当時言うことができないことがあり、今はその微言の内容はわからない。ただ呉に子游の祠堂(しどう、祖先の霊がまつってあるところ)があるからには、結局は子游も孔子の言葉の真意を悟り、魯を去ったのであろう。
後世、詩学が伝わらなくなったので、孔子に微言が多いことがわからなくなった。であるから朱子も仁斎もそれに気づかず、孔子が子游の返答を聞いて、「はからずも弦歌を耳にした孔子は深くこれを喜んだ」などと言うのである。”
*三桓氏:魯の公族で、春秋時代・戦国時代の魯の第15代君主桓公の子孫の孟孫氏(仲孫氏)・叔孫氏・季孫氏の事を指す。
荻生徂徠の解説を読むかぎりでは、孔子は子游に対して、「為すべき事は他にある」ということを言いたかったのではないだろうかと推察しています。
解説③:
解説②では主な解釈を二つ挙げました。その他にも諸説ありましたが、大まかに次の三つの解釈に分かれるようです。
ア)四字熟語の意味をそのまま素直に解釈。
イ)子游を牛刀、武城を鶏に例えて、子游を高く評価した例え話という解釈。
ウ)魯の政治情勢の緊迫度と武城の状況が大きく異なっていることを暗に伝えようとした。
アの場合、包丁にも用途別の包丁があって、その選択を間違えると思うように切れないことを例えた表現。礼楽についても町の規模や状況によって使い分けなければならないということを孔子は子游に伝えたかったとする解釈です。
イは、子游が孔子の教えを忠実に守って礼楽の実践を行なっていることに対して、孔子は嬉しく思い、子游をほめようとして例えたとする解釈です。
ウは荻生徂徠の解釈です。
当時、魯は三桓氏の勢力が強く、国力も衰えていたようです。そのような状況にあって、礼楽、つまり人民に対する道徳の実践そのものは重要であるとわかっていながらも、それを今行なうべきか、今必要なことは他にあるんじゃないかということを、孔子は子游に伝えようとして、例えた話ではないかという解釈です。
いずれにしても「割鶏牛刀」は「とるにたりないことを、大げさな方法で処理することの戒め。」という意味で使われているということを前提にして、それに沿った補足説明を加えることになります。
*参考資料:
『論語』加地伸行、講談社 *講談社学術文庫
『論語集注』土田健次郎 訳注、平凡社 *東洋文庫841
「論語ー陽貨第十七 4 子之武城章ー」『Web漢文大系』藤川全祐
https://kanbun.info/keibu/rongo1704.html

コメント