読み:かがくじょうたつ
意味:手近で初歩的なことから学んで、次第に高度で深い道に通じること。
出典:『論語』<憲問第十四>
解説①:
まず出典の部分を、加地伸行先生の”『論語』全訳注”から引用します。
”子曰く、我を知る莫(な)きか、と。子貢(しこう)曰く、何為れぞ(なんすれぞ)其(そ)れ子を知る莫し、と。子曰く、天を怨(うら)みず、人を尤󠄀(とが)めず、下学して上達す。我を知る者は其れ天か、と。
老先生がおっしゃった。「私の価値を知る者はいないなあ」と。子貢は「どうして先生の価値を知る人はいないと言えましょうや」と述べたところ、老先生はこうお話しになられた。「天が悪いのでもなければ、人が悪いのでもない。私は知識の学習に始まり、道徳の修養にまで至り、最善を尽くしてきた。私のことを最もよく知っているのは、天であろうぞ」と。
注)「下学上達」には諸説があって、一定の解釈はない。”
解説②:
「下学上達」の解釈は学者や研究者によってさまざまです。それはおそらく「何を学び、どこに到達するのか」が具体的ではないからだと思いますが、裏を返せば、孔子の真意をいろんな角度から思案することのできる、深みのある文章と言えるのかもしれません。
では、子どもたちにどう説明するかですが、難しいですね。ただひとつ言えることは、「下」が算数の「足し算引き算」で「上」は高校で習う「微分積分」ではないと思います。
『Wikipediaー孔子ー』によると、孔子の生まれは決して裕福ではなかったようですが、それ故、鄙事(ひじ、日常の些細な仕事や、誰でもできるような簡単な仕事)を器用にできるようになったと振り返っていたようです。
推測の域をでませんが、以下の記述が参考になるかと思います。
「母の仕事の影響をうけて、文字を知り、礼法を知り、そして知識によって生きていこうと決心して、まず村の役人になることができた。しかしその礼法は、あくまで祈祷師としてのそれであり、社会全般、まして国家としてのそれではない。おそらく、天下に通ずる礼、伝統的に守り続けられてきた礼法を学ぶ為に、必死になって各地を訪れ、知識人に会っては、自分なりに整理し、体系付けていった。この努力が、孔子の基礎を作った。」『論語と孔子の辞典』江連 隆*Wikipediaからの引用。
これが「下学上達」の「下学」に当てはまるように思います。
解説③:
この四字熟語を理解するには、その言葉が生まれた背景を知ることがポイントになります。
この文章は、孔子が71~72才頃に言ったとされています。孔子が亡くなったのは紀元前479年で74才のときとされていますので、亡くなる2~3年前でしょうか。
その頃、孔子は自分の生まれ故郷の魯(ろ)の国にいて、哀公という若い君主に仕えていました。そして、何度か斉(せい)という国への進軍を勧めましたが、哀公は聞き入れなかったそうです。
また、孔子の弟子に顔回という人がいました。一を聞いて十を知る秀才で、学識と徳行がともに高く、だれからも愛され、孔子のもっとも信頼した、第一の高弟でした。つねに貧しく不遇で、路地裏のあばら屋に住んで、食べ物にも事欠いたのに、ひたすら研究と修徳に励んでいたそうです。若くして孔子よりも先に亡くなり、孔子はたいへん悲しんだとされています。
晩年そのようなことが重なったためか、「私の価値を知る者はいないなあ」と、嘆きにもとれる一言が出たのではないかと思っています。しかし、それは身の上を悲観しているのではなく、「天だけはわたしのことを知っている」ということを強調するための前置きであるように思います。
基礎的なことをコツコツ地道に学ぶことはたいへんですし、時には嫌になることもあると思いますが、どこかでちゃんとその姿を見ている人がいるということを忘れないでほしいということを、孔子は伝えたかったのかもしれません。
解説④:
「下学上達」に含まれる「下」「学」「上」「達」のうち、「下」「上」についてはここで解説をします。「学」「達」については、出直し!漢字学習のコーナーで個別に解説をしますので、そちらをご覧ください。
では、「下」と「上」について解説します。なお、それぞれの意味ですが、漢和辞典をみてみると、かなり細かく分類されています。四字熟語の解説には特に必要ないと思いますので、ここでは取り上げないことにし、成り立ちについてのみ解説します。
まず、下と上の古い字形をみてください。


どちらも基準となる横線を引いて、短い線がそれより上にあるか下にあるかで、上下の意味を表わしています。ただ、これだと当時の人たちでもわかりにくかったのか、その後、今の字形と同じような字形に変わっています。
縦の線や、短い横線も特に意味があるわけではないと思いますが、こじつけて推測すると、縦線は方向を示すための矢印的なものなのかもしれません。


なお、「下」の字形を上向きに反対にすると「上」になりますし、「上」も下向きに反対にすると「下」になります。
現代表記では「下」の最後の線は斜めになっていますが、これは筆で書くときにそのほうが書きやすいために変化したもので、なにか意味があってのことではないと思います。
*参考資料
『憲問第十四 37 子曰莫我知也夫章』藤川全祐、Web漢文大系
https://kanbun.info/keibu/rongo1437.html#google_vignette
『宋明思想における人間観-『論語』下学而上達章の解釈を中心に-』石原伸一、二松学舎学術情報リポジトリ
https://nishogakusha.repo.nii.ac.jp/records/3291
『Wikipediaー孔子ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90
『コトバンクー顔回ー』
https://kotobank.jp/word/%E9%A1%94%E5%9B%9E-48485#goog_rewarded

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