読み:えんりょきんゆう
意味:先々のことを見通して行動しないと、身近なところに心配ごとが生じるということ。
出典:『論語』<衛霊公第十五>
解説①:
この四字熟語は次のような短い言葉から作られました。
”子曰く、人 遠慮無ければ、必ず近憂有り。”
<現代語訳>
”老先生の教え。人たる者は、遠くまで見通しての配慮がなければ、きっと近く心配ごとが起こる。”
遠慮:
広辞苑によると、
①遠い先々まで考えること。深い考え。
②人に対して言語・行動を控え目にすること。
③公の秩序を考えて出勤・謁見(えっけん、身分の高い人に会うこと)・祝い事などをさしひかえること。
④それとなく断ること。辞退すること。
⑤江戸時代の刑の一つ。微罪ある武士・僧尼(そうに)に対し、門を閉じて籠居(ろうきょ、家の中にいて外に出ないこと)させたもの。夜間、くぐり門からの外出は認められた。
と、説明されています。
この四字熟語では①の意味ですが、わたしたちは②や④の意味で使うことが多いかと思います。それにしても遠慮が刑罰のひとつだったとは驚きました。
憂:
「憂」は動詞だと「うれーえる」、名詞は「うれーい」が一般的です。『明鏡国語辞典』によると「憂える」は、
”物事がよくないほうに展開するのではないかと心配する。先のことに心を痛める。また、思うに任せない現状を嘆き悲しむ。憤慨する。”
とのこと。わかりやすい説明だと思います。
解説②:
この四字熟語では、”遠慮”の解釈が重要になります。
最初に示した四字熟語の意味や広辞苑の意味でも、将来や未来といった、時間的に先のことを言っているように思いますが、『論語』の注釈書『論語集注』には次のような解釈がありました。
”蘇氏が言った。「人が踏む場所は、足を運ぶ所以外はみな無用の地であるが、無視してよいものではない。千里の外までも思慮を伸ばさなければ、患難(かんなん、悩みや苦しみ)は机や席のような身近に起こる。”
この解釈によると、時間的な遠近ではなく、地理的なことを言っているように思います。
また、荻生徂徠(おぎゅうそらい)という人は、この孔子の言葉を次のように評価しています。
”この語は聖人の道を尽くしている。本章のように孔子は智に富み思いは深く、その道は深遠であった。当時孔子が尊ばれながら登用されなかったのは、迂遠(うえん、すぐには役立たない)と見なされたからであり、後世の聡明な儒者が聖人の道を理解できなかったのは、近いところしか見なかったからである。”
この徂徠の解釈は、解釈でありながら難解で<苦笑>、わたしにはよく理解できませんが、蘇氏の解釈と合わせて理解すると、時間的な遠近だけでなく、やはり、地理的なことも含まれているように思います。
今の時代は通信技術の発達のおかげで世界中の出来事が居ながらにして見たり聞いたりできますが、ウクライナやパレスチナで起きている問題や、世界各地で起きている紛争、飢餓や難民問題を”遠いところの問題”として感じているように思います。
しかし、そういった遠いところで起きている問題が、いつかは自分たちの問題にもなり得るということ、もしかしたらすでに身近に生じている諸問題の原因にもなっているのではと、想像できる心を持つことの大切さを伝えてくれているように思います。
*参考資料:
『Wikipediaー蘇軾ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E8%BB%BE
『Wikipediaー北宋ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%AE%8B
『Wikipediaー東坡肉ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%9D%A1%E8%82%89
『Wikipediaー荻生徂徠ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E7%94%9F%E5%BE%82%E5%BE%A0
『Wikipediaー霊公(衛)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%85%AC_(%E8%A1%9B)

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