223:克己復礼

読み:こっきふくれい
意味:私欲を抑制し、社会の規範や礼儀にかなった行動をすること。
出典:『論語』<顔淵 第十二>

解説①:
 まずこの四字熟語が含まれている文章の書き下し文と現代語訳をみてみます。
*『論語』加地伸行氏より。

<書き下し文>
 顔淵 仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復するを、仁と為す。一日 己に克ちて礼に復すれば、天下 仁に帰す。仁を為すは己に由(よ)る。人に由らんや、 と。顔淵曰く、其(そ)の目(もく)を請(こ)い問わん、 と。子曰く、礼に非(あら)ざるもの(非礼)視ること勿(なか)れ、非礼 聴くこと勿れ、非礼 言うこと勿れ、非礼 動くこと勿れ、 と。顔淵曰く、回(かい) 不敏(ふびん)と雖(いえど)も、請う 斯󠄀(こ)の語を事(こと)とせん、 と。

<現代語訳>
 顔淵が仁とは何でしょうか、と質問した。老先生はこう教えられた。「利己を抑え、[人間社会の]規範(礼)に立つことが仁である。ひとたび利己を抑え、規範を実行するならば、世の人々はみな、[それを見習って、忘れていた]仁(人の道)を実践することになるであろう。人の道を実践するのは、己の覚悟しだいなのであって、他人に頼ってできるものではない」と。顔淵はおたずねした。「その実践内容はどのようなものでありましょうか。お伺いいたします」と。老先生はこう述べられた。「規範でないもの、それを視るな、聴くな、言うな、行なうな」と。顔淵は「私め、至りませぬが、そのおことばを第一として生きてゆきます」とお答えしたのであった。

*語句の説明
顔淵(がんえん):
 顔回(がんかい)のこと。姓は顔、名は回、字(あざな)は子淵。孔子の第一の弟子。貧しい生活の中にあって、学、徳ともにすぐれた者とたたえられています。孔子に最も愛されていたとのことですが、若くして、師(孔子)よりも先に亡くなりました。

克つ(かつ):
 「克」は大きく二つの意味に分かれます。ひとつは、勝ち負けの「勝つ」と同じような意味です。そしてもうひとつは、「忍耐(にんたい)」と同じような意味で「耐える」という意味になります。「勝つ」という意味の場合でも、「苦しいことや辛いことを乗り越えて勝つ=克つ」という意味合いになると思います。

復する(ふくする):
 「復」の基本的な意味は「元に戻る、元に戻す」というような意味です。その意味から、「ふたたび(再び)、もう一度、繰り返す」といった意味や「さらに(更に)」というような意味もあります。
 書き下し文では「ふくする(復する)」と読んでいますが、「実行する、実践する」といった「行なう」という意味で「ふーむ(復む)」と読んでいる解説もあります。
 ここでは「礼に復する」、つまり「礼の基本(根本)に立ち返る→礼を実践する」というような意味として「復」が使われています。

目(もく):
 具体的な内容。いくつかの項目をひとつひとつ分けて並べたもののこと。

不敏(ふびん):
 知力や能力がないこと。謙遜(けんそん)して言うときの表現。

解説②:
 最初に示した意味をみてみます。

”私欲を抑制し、社会の規範や礼儀にかなった行動をすること。”

 基本的にはこのままの理解でいいと思いますが、「克己」と「復礼」を二つに分けるのではないという解釈もあります。

”私欲を抑制するためには、社会の規範や礼儀にかなった行動をすること。”

というように、根本はあくまでも「復礼=社会の規範や礼儀にかなった行動をすること」であるとし、その結果として「克己=私欲を抑制できる」という見方です。

解説③:
 書き下し文に、「一日 己に克ちて・・・」とありますが、現代語訳に「ひとたび」とあるように、一日だけ行なえばいいという意味ではありません。まず上に立つ者が「礼」を実践し、それを人々に示すことによって、他の者も実践するようになると言っているのだと思います。
 また、人に言われてやるのではなく、自分から「礼」を実践することの大切さも言っています。
 その「礼」の実践ができるようになるためには、「礼」の意味である「相手を敬(うやま)う気持ち、感謝の気持ち」を持つことが大切なように思います。

 以上です。

*参考資料
『論語』加地伸行、講談社学術文庫
『論語集注』土田健次郎 訳注、平凡社 *東洋文庫841

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