読み:こうげんれいしょく
意味:愛想のよいことをいったり、顔色をつくろって、人に媚びへつらうこと。
出典:『論語』<学而>
解説①:
この四字熟語は次のようなことばにあります。
”子曰く、巧言令色、鮮なし仁。”
現代語訳:
老先生の教え。[他人に対して人当たりよく]ことばを巧みに飾りたてたり、外見を善人らしく装うのは[実は自分のためというのが本心であり]、<仁>すなわち他者を愛する気持ちは少ない。
*『論語』加地伸行、講談社学術文庫より。
巧言:
「巧」は「たくーみ(巧み)」と訓読みします。何かをするときの、進め方ややり方が上手なこと、細工*(さいく)や技術が優れていることを意味します。
*①手先を使って細かい器物・道具などを作ること。また作った物。②ある計画を実現するために、または全体を取り繕(つくろ)ために、細かいところに工夫や企(たくら)みを施(ほどこ)すこと。また、その工夫や企み。
現代語訳では「ことばを巧みに飾りたてる」、『漢検四字熟語辞典』でも「相手が気に入るように言葉を飾ること」というふうに、良くない意味として使われています。
令色:
「令」という漢字を見ると、今の元号「令和」が頭に浮かぶと思いますが、その他、「命令」「法令」などといった熟語も思い浮かぶかと思います。
『漢字源流|中華語文知識庫』によると、「令」は、宗廟(そうびょう、天子[王、帝]の祖先を祀る建物)で人が跪(ひざまず[づ])いている姿を表わし、その重要な場所で天子から地位や職を任命される場面を表わしているそうです。これは祖先や神々の意に従うことを意味し、「命じる、告げる」などといった意味を表わす漢字になっています。
また、「よい、清らかで美しい、立派な、優(すぐ)れた」といった意味もあり、それは、人が跪いている姿であるとか、宗廟や祭祀の持つ神聖なイメージによるものかもしれません。
ちなみに「令和」という元号について、故・安倍総理は「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められている。」と説明されたそうです。
令色は元々「礼儀や作法を正しくして儀式や祭祀の場に臨んでいるときの顔つき(顔色や表情)「やさしく美しい顔つき」のことを意味していると思いますが、この四字熟語では、「顔つき(顔色や表情)をよくして、人に気に入られようとすること」を表わしています。つまり、顔つきはよくても、心の中は違っているという意味が含まれています。
鮮ない:
これは、「すくない」と訓読みし、「少ない」という意味です。
「鮮」は「なま(生)の魚や鳥獣の肉のことを意味し、「あたらしい、あざやか」といった意味があり、「新鮮」「鮮明」という熟語が思い浮かぶかと思います。
魚も獲れたてのときは色も鮮やかですが、時間が経つにつれ、色が悪くなっていきます。現代の技術でも鮮度を保つにはかなり工夫しなければなりませんから、古代中国では、新鮮な魚や鳥獣の肉というのは、めったにないものだったのかもしれません。そのため、「ほとんど見る・食べることができない=貴重なもの=すくない」という意味へと派生していったと考えられます。
「少ない」と書くと、ただ単に量的に「多い、少ない」の「少ない」という意味になってしまいますが、「鮮ない」と書くと、新しく鮮やかで貴重なものが少ないという、残念な気持ちを表わしているように思います。
仁:
この漢字には一般的な意味と、儒教における意味とに分かれますが、ここでは儒教における意味になります。
儒教における「仁」が持つ意味は深く、一言で言い表せるものではありませんが、あえて短くまとめると、人が人としてあるべき理想の姿ということではないかと思います。その理想とは、他者への思いやりや慈(いつく)しむ心を意味していると思います。
それぞれの漢字の成り立ちや意味については、出直し!漢字学習のコーナーで解説しようと思っています。
解説②:
最初に示した意味ですが、子どもたちにとってはわかりにくい表現がありそうですので、それぞれについて説明します。
意味:愛想のよいことをいったり、顔色をつくろって、人に媚びへつらうこと。
愛想:
「あいそ」が一般的な読みですが「あいそう」と読むこともあります。
人に良い感じ(印象)を与えようとして、言葉や表情を変えて接することを言います。
つくろう(繕う):
本当の自分が分からないように(本当の自分を見せたくないために)、表面、見た感じを良くすること、という意味になると思います。
こびる(媚びる)、へつらう(諂・諛󠄀う):
相手に気に入られようとして、相手が気に入るようなことを言ったり行なったりすることを言います。自分を相手より”下”におき、本当は言いたくない、したくないことでも我慢して、相手の希望通りに行なう態度を表わします。
ここではだいたい同じ意味のことばを並べて、意味を強めているという理解でいいと思います。
解説③:
『論語』は孔子のことばを簡潔にまとめてあるため、孔子が何を伝えようとしたのか、そのことばの裏に隠された深い意味を多くの学者・思想家たちが解釈してきました。
その中で広く普及しているのが朱子(朱熹、1130年~1200年)の解釈ですが、荻生徂徠(おぎゅうそらい、1666年~1728年)という江戸時代中期の儒学者、思想家は朱子に対して批判的な立場をとっています。
今回の四字熟語の出典「巧言令色、鮮なし仁」についても、朱子とは異なった解釈をしていますので、引用・紹介します。*『論語集注1』土田健次郎、p68-69.
”「巧言令色」とは、巧言の人は必ず令色によって行なうということ。孔子は「巧言」を「佞󠄀人(ねいじん)」のしわざとし、「*佞󠄀」を強く否定した。君子は国家を安んずることに志があり、言語や顔色などには関心を持たないものである。そのような志を持たない者が、言語や顔色を気にする。朱子のように心の内面と外面の話にしてしまうのは、孟子以後の悪弊(あくへい)である。また、「鮮し」を朱子は「無い」ことと解釈するが、天下には様々な気質(生まれつき)の人があり、絶対無いとは言い切れないから、このような表現をしているのである。”
*「佞󠄀」:人が良さそうな態度で言葉も巧みにし、相手に気に入られようとすること。へつらうと同じような意味。
どちらが正しいということではなく、こういう解釈もあるということです。
教えるときのポイント:
「巧言」にしても「令色」にしても、その言葉や顔色・表情といったものが相手に対する思いやりや慈しむ心から生じるものであれば、良い意味にもなりますが、ここではそういったものは悪意のあるものとしています。その善し悪しをどうやって見分けるのかというのは、なかなか難しいですね。
ですから、今回の四字熟語「巧言令色」を反面教師として、子どもたちにはまず、自分が周りの人たちに対して、思いやりや慈しむ心を持って接することを心がけることが大切だということを感じとってもらえたらと思います。
時として、本心とは違ったことを言ったり、場合によっては、良心に反するようなことを行なったりすることがあるかと思います。もしそうであったとしても、そのときそのときに自分の言動を振り返ることが大切ではないかと思います。
「巧言」とはどんなことばなのか、「令色」とはどんな態度や表情なのかといったことについて考えてみるのもいいかもしれません。
*参考資料:
『論語』加地伸行、講談社学術文庫
『論語』吉田賢抗、新釈漢文大系第1巻、明治書院
『論語集注1』土田健次郎、東洋文庫841、平凡社
『万葉集に由来する「令和」に込められた、時代にふさわしい願い』山﨑 健司、明治大学
https://www.meiji.net/life/vol244_kenji-yamazaki
『新元号・令和の由来と意味とは?出典元の万葉集「梅花の歌」を解説』四谷学院個別指導教室
https://yotsuyagakuin-kobetsu.com/blogs/reiwa-meaning/

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