読み:りくげんのりくへい
意味:人には六つの徳があるが、学問や教養を積まなければ六つの弊害を生むということ。
出典:『論語』<陽貨 第十七>
<書き下し文>
子曰く、由(ゆう)や、女(なんじ)六言・六蔽を聞けるか、と。対(こた)えて曰く、未(いま)だし、と。居(お)れ、吾(われ) 女に語(つ)げん。仁(じん)を好(この)みて学(がく)を好まざれば、其(そ)の蔽(へい)や愚(ぐ)。知(ち)を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩(とう)。信(しん)を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊(ぞく)。直(ちょく)を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞(こう)。勇(ゆう)を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱(らん)。剛(ごう)を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂(きょう)、と。
<現代語訳>
老先生がおっしゃられた。「由(子路[しろ])君よ、お前は六つの心得と[それによる]六つの弊害とを学んだか」と。子路は[起立して]「まだでございます」とお答え申し上げた。[老先生は]「坐れ。お前に教えよう。愛すること(仁)に熱中するだけで、どうあてはめるかを覚(さと)らないと、その愛は当たっていない愚劣となる。事を明らかにすること(知)に熱心となるだけで、そのしかたを覚らないと、議論倒れでとりとめもない(蕩)ことになる。まごころを尽くすこと(信)にすがるだけで、その程度を覚らないと、行きすぎてたがいに被害者(賊)となってしまう。まっすぐであること(直)を第一として、その調整を覚らないと、むやみに他者を非難する(絞)だけとなる。勇敢であること(勇)だけを誇って、そこに大義があることを覚っていないと、秩序を乱す(乱)だけとなる。決心の堅さ(剛)を売りものにするだけで、その本質を覚っていないと、単に目的達成第一の独りよがり(狂)となる。
*書き下し文、現代語訳共、加地伸行氏の『論語』より。
解説①:
まず「六言六蔽」の「言」と「蔽」について、みていきます。
「言」は「言う。ことば」という表現が頭に浮かびますが、最初に示した意味では「言=徳」になっていますし、現代語訳では「言=心得(こころえ)」と訳されていて、次のように解説されています。
”「言」は、それ自体の意味はことばであるが、「蔽」と対比されているので、聞くに足る良いことばという意味を含むと考え「心得」と解する。”
「蔽」は「草が生い茂って、その下にあるものが見えなくなってしまっている状態」を表わしていて、「おおう(覆う)。かくす(隠す)」という意味があります。
せっかくの六つの徳、あるいは心得を覆って見えなくしてしまうことは「害」であるという意味合いで使われている漢字だと思います。
解説②:
では、書き下し文をそれぞれ見ていきます。
仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚。
「仁」は儒教の中で最も大切にされている教えであるとされ、奥深いものであるため、簡単に説明できません(私自身もよくわかっていません<恥>)が、それでは子どもたちに説明できませんので、あえて言うと「人を思いやる心、人を慈[いつく]しむ(愛情を持って大切にする)心」であり、突きつめると、人が人として生きるために最も大切にされなければならない心のことという理解になるかと思います。
そういった「心」を持ちたいと願っても、願うばかりできちんと学ばなければ、誤った「仁」となり、他者にとってはマイナスとなったり、過ぎたことであったりするということを「愚(グ、おろーか)=仁の意味がわかっていない愚か者」という漢字で表わされています。
知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩。
「知」は知識というふうに理解していいと思います。「蕩」は「艹󠄀(くさかんむり、草)」「氵(さんずい、水)」から、水草が水中でゆらゆらと揺れ動いている様子をイメージしてください。自由に動いている様子から、広く行き渡るといった良い意味にも使われる漢字でもありますが、ここでは、ただ知識を増やすことだけを極めようとするあまり、終わりがなく、せっかくの知識を活かすところまでいかないことを意味しています。いわゆる頭でっかちということでしょうか。
信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊。
『漢字源 改訂第五版』によると、「信」は”「人+言」で、一度言明したことを押し通す人間の行為をあらわす。途中で屈することなく、まっすぐにのび進むの意を含む。”という意味とのことです。
一度言ったこと約束したことは最後までやり通す、守る、ということは大切なことであり、人からも信頼・信用されます。しかし、もし、言ったことや約束したことに間違いがあったりした場合、それを無理に押し通そうとすると、お互いにとってよくない結果につながるということだと思います。そのことをここでは「賊」という漢字で表わされています。
直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞。
これは、現代語訳「まっすぐであること(直)を第一として、その調整を覚らないと、むやみに他者を非難する(絞)だけとなる。」がわかりやすいと思います。
「絞」は「しぼーる、しーめる」と訓読みし、日本では「タオルやぞうきんを絞る、部活でコーチから絞られる(厳しく指導される)、問題を整理して議論の範囲を絞る(制限する)」などというように使われますが、イメージとしてはこのような理解でいいと思います。
勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。
これも、現代語訳「勇敢であること(勇)だけを誇って、そこに大義があることを覚っていないと、秩序を乱す(乱)だけとなる。」がわかりやすいです。
なお、「大義(たいぎ)」とは、人としての正しい行いという意味合いであったり、それを行うことに大きな意味があることを表わす言葉です。
剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂。
これも、現代語訳「決心の堅さ(剛)を売りものにするだけで、その本質を覚っていないと、単に目的達成第一の独りよがり(狂)となる。」がわかりやすいと思います。
「狂」という漢字から受ける印象は、精神的に異常である、狂っている、という感じだろうと思いますが、現代語訳にもあるように、独りよがりであったり、事の善悪や後先のことを深く考えずに行動に移してしまうことをここでは意味しています。
最後の二つ「勇」と「剛」は同じような意味合いで用いられることが多いと思いますが、「勇」はどちらかというと精神力であったり気持ちの面で内から湧き出てくる気力を表わしているように思います。一方、「剛」にもそのような面はあるかと思いますが、それが実際の力や強さになっていることを表わしているように思います。
解説③:
解説②で共通の表現に「学を好まざれば・・・」があります。この「学」は最初に示した意味だと「学問や教養」のことになります。一方、現代語訳では「・・・を覚(さと)る」という表現になっています。
いずれにしても、ここでいう「学」は、子どもたちが学校で学ぶ国語や算数、理科・社会といったものではなく、儒教の教えです。
では、それは具体的にどういうことかというと、儒教においてお手本となる、理想の先人(聖人や君主)たちの言動や行いであると考えられます。
荻生徂徠によると、「そもそも古(いにし)えの学は詩書礼楽によって先王の道を学ぶことであり、徳を実現するのは専(もっぱ)ら*礼楽によるのである。」とのことですから、「礼楽」を学ぶことと言ってもいいかもしれません。
*礼楽(れいがく):行いをつつしませる礼儀と心をやわらげる音楽。中国では古く儒教で、社会の秩序を保ち、人心を感化する働きをするとして尊重。『広辞苑』より。
解説④:
この四字熟語は、孔子が弟子の子路に教えている場面から作られています。
では、弟子の子路という人はどんな人だったんでしょうか。『コトバンクー子路』には複数の解説がありますが、その中で『小学館・日本大百科全書(ニッポニカ)』宇野茂彦氏によるものが、その人となりをわかりやすく解説されていますので、引用します。
”子路(しろ):(紀元前543―紀元前481)
中国、春秋時代の士人。孔子の弟子。姓は仲(ちゅう)、名は由(ゆう)。子路は字(あざな)、また季路(きろ)とも。魯(ろ)の卞(べん)(山東省)の人。四科十哲の政事にあげられる。武勇に優れた勇士。豪毅(ごうき)かつ実直な人柄。その武才をもってつねに孔子を守護した。師に対しても率直に意見を述べ、孔子も子路の蛮勇や粗野をたしなめることが多いが、もっとも心の通い合った弟子といえよう。季氏の宰となり、のち衛(えい)の村、蒲(ほ)の大夫となったが、衛の蕢聵(かいかい)の内乱で戦死。その死体は塩漬けにされ、孔子を悲しませた。”
上記解説の中に四科十哲の政事とありますが、同じく『コトバンクー孔門の十哲』の中にその解説がありましたので、合わせて引用します。
”中国の春秋時代、孔子門下中の優れた弟子10人のこと。『論語』先進篇(へん)に「徳行には顔淵(がんえん)、閔子騫(びんしけん)、冉伯牛(ぜんはくぎゅう)、仲弓(ちゅうきゅう)。言語には宰我(さいが)、子貢(しこう)。政事には冉有(ぜんゆう)、*季路(きろ)。文学には子游(しゆう)、子夏(しか)。」とあり、孔子門下七十子中のおもだった弟子10人をその長所によって4分類している。これを後世「四科十哲(しかじってつ)」とよぶ。徳行とはすべての行為が美(よ)いこと。言語とは諸侯間の応対の修辞に優れること。政事とは治国の才能があること。文学とは古典に通暁することである。”
*季路(きろ)は子路の別名。
また、中島敦という小説家の方が、孔子と子路の関係性を題材にして『弟子(ていし)』という小説を書かれています。『*青空文庫』で読むことができますので、興味がある方は是非!お読みください。この四字熟語の真意がより深く味わえると思います。
*誰にでもアクセスできる自由な電子本を、図書館のようにインターネット上に集めようとする活動。
教えるときのポイント:
人の性格といったものは人それぞれですし、多様です。ですから、ここで取りあげられた「六言」と「六蔽」のひとつひとつを細かく解説することに重きをおくのではなく、子どもたち一人一人が持っているせっかくの良い性格も、何も学ばないままだと、悪いほうへ傾いていってしまいますよ、ということが最も大切なポイントになります。
解説④の繰り返しになりますが、礼儀や作法といった形式を学ぶことの重要性と、その背景にある、徳のある先人の行いを歴史から学ぶことの重要性も合わせて子どもたちに理解してもらえたらと思います。
以上です。
*参考資料
「弟子」『中国小説集』中島 敦、p111-p178、ランダムハウス講談社、2007年6月1日第1刷発行
『弟子』中島 敦、青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1738_16623.html
『コトバンクー子路』
https://kotobank.jp/word/%E5%AD%90%E8%B7%AF-81135
『コトバンクー孔門の十哲』
https://kotobank.jp/word/%E5%AD%94%E9%96%80%E3%81%AE%E5%8D%81%E5%93%B2-497647
『コトバンクー礼楽』
https://kotobank.jp/word/%E7%A4%BC%E6%A5%BD-151227
『論語集注』土田健次郎 訳注、平凡社 *東洋文庫841

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