読み: かんじんたいど
意味:心が広くて慈悲深く、度量が大きいこと。
出典:『漢書1 帝紀』<高帝紀第一上・下>*ちくま学芸文庫
解説①:
出典にある「帝紀」とは、前漢時代を皇帝毎に分けて書かれた歴史書のことです。その中の「高帝紀」は、初代皇帝・劉邦(りゅうほう、高祖とも呼ばれる)の生涯について書かれたものです。
なお、出典では劉邦を異なる名前で書き分けてあり、説明するときにわかりにくくなりますので、以下、劉邦で統一します。
解説②:
今回の四字熟語は、劉邦がどんな人物かを表わしています。
出典の冒頭、次のようなことが書かれてあります。*一部省略し、語句をわかりやすい表現に変更。
“劉邦の母・媼(おう)がある日、大きな沢の堤(つつみ)のほとりで休んでいるうち、夢をみて、神に出会った。そのとき、雷鳴電光があって天地が暗くなり、父の太公(たいこう)が行ってみると、媼の上に蛟竜(こうりょう・りゅう)のいるのが見えた。やがて媼は身ごもり、ついに劉邦を産んだ。”
*蛟竜とは?:中国の想像上の動物。水中にひそみ、雲や雨にあうと天に昇って竜になるという。『明鏡国語辞典』
そして、次に、生まれた劉邦のことが書かれてあり、寛仁大度の出典となる表現が出てきます。
“劉邦は生まれつき鼻が高く、ひたいは竜のようで、ひげが美しく、左足の腿(もも)に七十二のホクロ(黒子)があった。生まれつき寛仁で人を愛し、ものごとにこだわらなかった。いつも悠然(ゆうぜん)とかまえて、家業をかえりみなかった。”
とあります。
家業をかえりみず、酒を好み色を好み・・・、といった悪い面とも思えることも書かれてありますが、そういったことを問題にしなくてもよいぐらいの、生まれつき格別の人格が備わっていたようです。
解説③:
では、「寛仁大度」とは、いったいどんな人のことを言うのかですが、それを表わしている箇所を前後含めて紹介します。*一部の語句をわかりやすい表現に書き換えたり、省略したりしています。
”おまえらと約束しよう。法はただ三章だけにする。人を殺す者は死刑にし、人を傷つけ、人の物を盗む者もそれ相当の罪にする。その他はことごとく秦(しん)の法を除き去り、役人や人民をすべて以前のように安心させよう。およそわたしが来たのはおまえらの害毒を除くためで、けっして乱暴をするためではないから、恐れるに及ばない。
秦の民は大いに喜び、争って牛羊・酒食などを持参して軍士をもてなそうとした。劉邦は辞退して受けず、「倉に食糧が多くあるからでもあるが、人民に負担をかけたくないのである」と言った。民はますます喜んだ。” *秦は前漢の前の時代です。
”項羽(こうう)の領地・楚(そ)はことごとく平定され、ただ魯(ろ)だけがまだ降伏(こうふく)しなかった。劉邦は兵を率いて滅ぼそうとしたが、守節礼儀の国であるため、項羽の頭(こうべ)を持って魯に示したところ、ようやく降伏した。はじめ、楚の懐王が項羽を魯公(魯の君主?)に任命したことから、項羽が死んだのちも、魯はやはり項羽のため堅く守ったのであり、それゆえ、魯公としての礼をもって手厚く埋葬(まいそう)した。劉邦は項羽のため、喪を公(おおやけ)に知らせ、棺(ひつぎ)の前で多くの者が泣き声をあげて哀悼(あいとう)する儀式を行なってから、そこから去った。そして、奪われて楚にいたもろもろの民をすべてそれぞれの国に帰した。”
”兵は八年のあいだ休むことができず、万民も共に同じような苦しみを続けていたが、今や天下の事は終わった。死罪とされている者以外は、その罪や過ちを許し、その刑罰を免除せよ。”
”天下はすでに平安となり、豪傑の功労ある者を侯(こう、皇帝が臣下に与える最高位)に任命したが、新たに皇帝の地位についたばかりなので、まだその功労をことごとくは賞し終えられないでいる。九年の間、身を軍においたために、あるいはまだ法令を習い知らず、あるいはそのゆえに罪を避けることを知らず、ついに法を犯した者が罪に陥り、大罪の者は死刑に処せられたが、わたしはこれをはなはだ憐れに思う。このことを天下に示し、刑罰を免除することを知らせよ。”
”陳豨(ちんき)という人物が反乱を起した。劉邦は、「陳豨はかつてわたしのために使者となり、はなはだ信用があった。ある地域はわたしにとってきびしく困難な所であったので、陳豨を任命してその地域を守らせたのであるが、いま王黄らとともにその地域を奪い取っている。しかしその地域の役人や民に罪があるわけではないから、陳豨や王黄の元を離れてこちらにつく者は、みなこれを許せ。」”
”「租税を軽減したいと切に望んでいる。いま、その負担については一定の基準がなく、より多いほうが良いとされ、民は苦しんでいる。一人当たりの負担率を計算し、年に一度納めるものとする。」”
”いまわたしは神霊の加護によって、天下を安定させ、天下を一家とした。そして、それが長く続いて絶えることのないようにと望んでいる。賢人はわたしとともに天下を平定したのだから、わたしと同じように安楽利益を得て当然である。善い名声と明らかな徳行の者であるかを直接会って確認をとり、その行いを記録させ、わたしに従うことを勧めて連れてくるように。該当者がいるにもかかわらずそれを見過ごす者がいてそれが発覚すれば職を免ずる。なお、その職を、年老いて疲れ病む者にさせてはならない。”
”盧綰(ろ・わん)とわたしとは馴染みがあり、彼を子のように愛しているので、陳豨と反乱の計画があると聞いても、まさかそういうことがあるはずはないと思い、人をつかわし盧綰を迎えにやったのに、病気だと言って来ない以上、その反乱の計画は明白である。しかし、役人や人民には罪があるわけではない。基準を満たした者には報奨を与えよう。盧綰とともにいる者も、盧綰の元を去って帰ってくるなら、許して報奨を与えよう。と”
長くなりましたが、以上の文を通読したあと、改めて「寛仁大度」の意味を見てみると、どんな人のことを言うのかがよくわかると思います。
意味:心が広くて(寛)慈悲深く(仁)、*度量(度)が大きい(大)こと。
*「度量(どりょう)」とは、ものさし(物差し、長さを測る定規)とます(升、体積を量る容器)のことですが、心が大きく、よく物事を受け入れること、という意味にも使われます。
この中で「寛」「仁」「度」については「出直し!漢字学習」のコーナーで個別に解説します。解説後にリンクをはりますので、そちらをご覧ください。
以上です。
*参考資料:
『漢書1 帝紀』<高帝紀第一上・下>*ちくま学芸文庫
『Wikipediaー劉邦ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E9%82%A6
『Wikipediaー項羽ー』
『世界史の窓ー劉邦』公平武治(きみひらたけはる)、Y-History 教材工房
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-084.html
『コトバンクー劉邦ー』
https://kotobank.jp/word/%E5%8A%89%E9%82%A6-149785

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