037 一壺千金

読み:いっこせんきん
意味:ふだんは価値がないものでも、時と場合によっては、それがはかり知れないほど役に立つこと。
出典:『鶡冠子』巻下<学問第十五>

解説①:
 出典の『鶡冠子』は「かつかんし」と読みます。「子」は、学識があって人格的にも優れている男性に対する尊称です。
 大形 徹氏によると、
”鶡冠子は『鶡冠子』三巻、十九篇の作者とされている。しかし、その姓名・字は記(しる)されず、生没年も不明である。通称の鶡冠子は号で、きじ(雉)に似た山鳥である鶡鳥の羽で作った冠をかぶっていたことに由来する。服装は粗末で、衣やぶれ、くつあなあくという状態であった。”

”ほとんどすべての篇が何らかの形で国家について説かれていることに気づく。強固で不朽の国家をつくりあげる、という大きなテーマのもとに『鶡冠子』という書物が出来あがったように思える。”

とのことです。

 また、今回の四字熟語は十九篇のうちのひとつ<学問第十五>から作られています。その主旨は、

”貴賎は時により常がない。善の善たるを知ることが大切。”

だそうです。

解説②:
 今回の四字熟語に関係する部分の中国語原文を『DeepL』や『Chat GPT』で翻訳し、それを元にして、子どもたちにもわかりやすいように意訳してみました。
 以下、弟子の龐子(ほうし)と師の鶡冠子の問答の場面です。

龐子:
「学問とは、尊敬できる先生から教えを受け、文章を暗誦・記憶することを死ぬまで続けることができれば、価値があるのでしょうか。」

鶡冠子:
「学問とは、ただ文章を暗誦し、記憶することではない。もし、それだけを死ぬまで続けたとしても、単に知識がたくさんあるだけで、物事を正しく判断することはできない。大切なのは、書物が示す本質をつかみ、言葉の奥にある真意を理解した上で、正しく判断できる力を身につけることである。」

龐子:
「学問に対する戒めとなるお言葉です。このことは天下を治めるうえで最も根本的な道理であるのに、世の君主たちはなぜその道理を政治に活かそうとしないのでしょうか。」

鶡冠子:
「それは、何が善いものなのかを見極め、正しく評価できないからだ。そのため、人それぞれが持っている才能を見抜き、それにふさわしい場所や役割を与えて、活かすことができない。」

「たとえば、川の真ん中で船を失ってしまった時には、たった一つの瓢箪(ひょうたん)でさえ千金の価値を持つ。」(注:「一壺千金」の「壺」は瓢箪のこと。)

「このように物の価値は、いつも一定しているわけではない。その時々の状況が、物の価値を決めるのである。」

「しかし、だからといって、その時々の状況に振り回されるのではなく、善いものは善いと知り、間違っているものは間違っていると明らかにして、その判断の基準を変えないことだ。」

「その判断ができず、今もなお、身を滅ぼし、国を滅ぼし、祭祀を絶やし、宗族を滅ぼす者がいる。」

「このことは、特別な人だけの話ではない。誰であっても、判断を誤れば自分自身を守ることさえできない。だからこそ、自分のこととして、この教えを心に留めておかなければならない。」

解説③:
 この四字熟語の意味を改めて見てみます。

”ふだんは価値がないものでも、時と場合によっては、それがはかり知れないほど役に立つこと。”

 この意味だけでもいいんですが、これに少し付け加えると、
・友だち(他人)と比べる必要はない。ひとりひとり違った才能や価値がある。
・学ぶことを怠ってしまうと、その才能や価値は低くなってしまう。
・どんな状況でも、学び続けていれば、いつか必ず評価されるときがくる。

こういったことが「一壺千金」という四字熟語には含まれているような気がしています。

解説④:
 後回しになってしまいましたが、この『鶡冠子』が作られたと思われる時代とその前後の時代を確認します。*『詳説世界史図録第5版』山川出版社を参考。

殷:紀元前1600年頃~紀元前1050年頃
周:紀元前1050年頃~紀元前770年頃
春秋時代:紀元前770年頃~紀元前403年頃
戦国時代:紀元前403年頃~紀元前221年頃
秦:紀元前221年頃~紀元前202年頃
前漢:紀元前202年頃~紀元後8年頃

 『鶡冠子』の作者や成立した年代は不明のようですが、大形 徹氏によると、戦国時代末期の頃が舞台となっているようです。

 戦国時代というと、周王の権威は地に落ち、戦国の七雄と言われる有力諸侯が分立し、それぞれが王と称して他国を滅ぼしていき、領土の拡張を競っていきました。
 そのような時代の変革期には、それまでの社会秩序が崩れ、新しい国家理念や道徳、世界観が求められるようになりました。また互いに対立し、それぞれ富国強兵を目指す各国の諸侯は、その目的を達成できそうな思想家の意見を求め、人材を登用しようとしていきました。そのような背景から、諸子百家と呼ばれる多くの学者が輩出されました。そして各国を遊説して自己の説を主張し、自由に議論しあう「百家争鳴」の状況が生まれました。

 このような時代背景の中、鶡冠子も諸子百家の一人であったと思われますが、あまり知られていなかったようです。しかし、それは鶡冠子に限らず、かの有名な孔子でさえも、生前は次のような時代を過ごしたようです。

”54歳、魯の大司寇(だいしこう)(司法大臣)となる。翌年、孔子は三桓*(さんかん)の勢力を削減しようと謀るが、露顕して失敗。以後14年間、曹(そう)(山東省)、衛、宋(そう)、鄭(てい)、陳(ちん)、蔡(さい)(以上河南省)、楚(そ)(湖北省)の諸国を流浪。孔子は、自分の理想の政治を実施してくれる君主を探し求めたのだが、どこへ行っても採用されず、ときには人違いで殺されかけたり、飢えたりした。69歳で魯に帰る。以後は政界に望みを絶ち、弟子の教育に専念する。[本田 濟 2015年12月14日]” 出典:『小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)』
*春秋時代に魯で活躍した三大貴族。春秋初期の斉の桓公 (在位前 711~694) の子孫の仲孫氏、叔孫氏、季孫氏をいい、桓公を祖とするのでこう呼ぶ。出典:『ブリタニカ国際大百科事典』

 こういった背景を知ることで、「一壺千金」という四字熟語の持つ意味がより理解しやすく、より意味深いように感じられるのではないかと思います。

 もしかすると、この「一壺千金」は鶡冠子自身のことなのかもしれません。

 以上です。 

*参考資料
『鶡冠子―不朽の國家を幻想した隠者の書―』大形 徹、東方宗教Vol. No. 59、p.43-65、1982年10月、日本道教学会、中国・アジア研究論文データベース、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST) アジア・太平洋総合研究センター(APRC)
https://spc.jst.go.jp/cad/literatures/2844
『鶡冠子の成立』大形 徹、大阪府立大学紀要(人文・社会科学)第31巻、p.11-23、1983年 、大阪公立大学学術情報リポジトリ
https://omu.repo.nii.ac.jp/records/6401
『維基文庫ー学問第十五ー』
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%B6%A1%E5%86%A0%E5%AD%90
『Wikipediaー鶡冠子ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%A1%E5%86%A0%E5%AD%90
『Wikipediaー龐煖(ほうけん)ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%90%E7%85%96
『コトバンクー孔子ー』
https://kotobank.jp/word/%E5%AD%94%E5%AD%90-62132
『Wikipediaー戦国時代(中国)ー』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)
『世界史の窓ー春秋・戦国時代、春秋時代、戦国時代ー』
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-027_1.html#wh0203-035
『世界史の窓ー諸子百家ー』
https://www.y-history.net/appendix/wh0203-051.html
『コトバンクー三桓ー』
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%A1%93-70480


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