読み:じょちょうばつびょう
意味:成長を助けようとして力を貸すことがかえって成長を妨げること。
出典:『孟子』<公孫丑章句・上>
解説①:
この四字熟語は次のような話が元となっています。以下、『孟子(新釈漢文大系4)』の訳文を引用します。
「宋*の人に、自分の田の苗がなかなか伸びないのを気にやんで、一本一本、心(しん)を引き抜き引き伸ばした者があった。そしてすっかり疲れ切って帰り、家人にむかい、『今日は疲れた。自分は苗が早く伸びるように、苗を助けて成長させてやった。』と言うので、その子は不審に思い、走って往って見ると、苗は皆枯れてしまっていた。」
*「宋(そう)」はその時代の国の名前のひとつ。
「心(しん)を引き抜き引き伸ばした」とありますが、これは「苗の中心となる部分(茎)をつかんで倒れない程度に引き上げた、上に引っぱった」という理解でいいと思います。
笑い話のようですが、子どもたちにとってわかりやすい例え話ですね。子どもたちよりも親や保護者向けのように思いますが、そんな親心もあるということがわかると思います。
このようなやり方だと、苗の成長のためにならないだけでなく、かえって害があると言っていますが、では、何もしないでいいのかというと、それは「ちょうど苗のまわりの雑草をも抜かないで、ほうっておくようなもの」で、それもよくないことだと言っています。
子どもたちへの教育のあり方を考えるきっかけとなる四字熟語だと思います。
解説②:
この四字熟語は、実は、「浩然の気を養う」ための方法論的なことを述べている文中にあり、この「浩然の気」というのは、孟子の思想においてとても重要なものだと言われています。そして、孟子自身も”説明が難しい”と言っています。
弟子の公孫丑(こうそんちゅう)が「浩然の気とは、どういうものですか。」と質問し、それに答えた部分を引用します。
「それはなかなか説明しにくい。その気というのは、この上なく大きく、この上なく強いもので、正しい道を以(もっ)てこれを養い、損(そこ)なうことがなければ、この気はますますひろくゆき渡り、天地の間にいっぱいに満ちるようになる。この気たるものは、正義と人道とに配合されてあるものであって、決してそれと離ればなれになることはできない。もし義と道から離れれば、気は飢えて、活動ができなくなってしまう。この気というのは、たくさんの道義の行ないが重なって後(のち)、自然に生じてくるものであって、一時的に義が外からやってきて、その義をちょっと行なったら、すぐ浩然の気が得られる、というものではない。人の行為において、道義を欠いたために、何か心に不満足なことがあれば、この浩然の気は飢えてしまう。
このように、自分の心の中に、道義を積み重ねてゆくことこそ、浩然の気を得るもとであるのに、告子*は、ただ心を乱すことばかり恐れて、義を行なって気を養うことを努めない。故(ゆえ)に自分は、『告子はまだかつて義を知らない。』と言うのだ。なぜならば、彼は義というものを、わが心の中にあると思わず、身の外にあるもの、としているからである。」『新釈漢文大系・孟子』p.96
*告子(こくし)は中国、戦国時代の思想家で、孟子の論敵。
う~ん、わかったようなわからないような・・・<苦笑>
金谷治氏の『孟子』を読んで、難しい理由がわかりました。以下、引用です。
「孟子は別に”夜気”ということもいっている。真夜中の静寂な大気のことらしく、それがわれわれのすなおな心をよびさますのに有効だというのである。”浩然の気”は、その文字の意味からすると、穏やかなのびのびした和平の気をいうのであるが、どうやら、”夜気”とも通ずるような、自然界と人間界をつらぬく大気の形で考えられているらしい。古代人のあいだでは、天地に充満する気があって、人間の心までもそれに支配されているとする信仰があったが、”浩然の気”もその影響を受けていると考えてよかろう。」『孟子』金谷治、p143-144.
このように難しい内容なので、「浩然の気」「浩然の気を養う」については子どもたちの理解度に応じて話をするかしないか決めてもらえればと思います。
解説③:
子どもたちに「浩然の気」について説明が必要になった場合ですが、次のような解説も参考になるかと思います。
『精選版日本国語大辞典』
「浩然の気を養う」とは「公明正大でどこも恥じるところのないたくましい精神を育てる。転じて、のびのびとして解放された心持ちになることをいう。」
また、「浩然の気」については、いろんな解説がインターネット上にはありますが、わたしは次のような説明がわかりやすかったです。以下、引用です。
「人間内部から沸き起こる道徳的エネルギー。これは自然に発生してくるもので、無理に助長させず正しくはぐくみ拡大していけば、天地に充満するほどの力をもつとされる。中国、戦国時代の儒者である孟子(もうし)が説いたもので、『孟子』の「公孫丑(こうそんちゅう)」上篇(へん)にみえる。気とは、もと人間のもつ生命力、あるいは生理作用をおこすエネルギーのようなものを意味するが、孟子はこれに道徳的能力をみいだした。仁義(じんぎ)に代表される徳目は人間の内部に根源的に備わっているものとし、それが生命力によって拡大されることを「浩然の気」と表現したのである。[土田健次郎]『小林勝人訳注『孟子』上下(岩波文庫)』出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
https://kotobank.jp/word/%E6%B5%A9%E7%84%B6%E3%81%AE%E6%B0%97-62538
解説④:
「浩然の気を養う」について調べていたところ、「浩」と「告」の意味や成り立ちにも興味が出てきたので、調べようと思っています。出直し!漢字学習のコーナーにその結果を載せますので、そちらをご覧ください。
解説⑤:
「助長抜苗」に含まれる4つの漢字のうち、「助」「抜」「苗」は出直し!漢字学習のコーナーで詳しく解説してみたいと思います。のちほどリンクを張りますので、そちらをご覧ください。
では、「長」について解説します。
「長」の古い字形は、

です。いくつかの辞典で共通しているのは「髪の長い人」という点です。これに、「老人」とか「髪がなびいている」といった表現が付け加えられていますが、基本は「長い」でいいと思います。
「長い」から派生して、「年上」「老人」「目上、身分が高い人」というような意味合いで使われていますし、更に「すぐれる」というような意味でも使われます。
「髪の長い人=老人」というと、子どもたちからは「お年寄りになると髪は少なくなるんじゃないの?」という質問が出るかもしれませんが<笑>、当時の寿命を考えると、髪の毛はまだフサフサしていたのかもしれません。
「長」の成り立ちや意味については特に問題ないと思います。
*参考資料
『孟子』内野熊一郎、新釈漢文大系4、明治書院
『孟子』金谷 治、岩波書店 *岩波新書
コトバンク、浩然の気
https://kotobank.jp/word/%E6%B5%A9%E7%84%B6%E3%81%AE%E6%B0%97-62538
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