読み:しゅうしんせいか
意味:自分の身を修め行いを正し円満な家庭を築くこと。
出典:『大学』
解説①:
出典の『大学』は中国古代の礼に関する解説書『礼記(らいき)』49篇のうちの一篇でしたが、宋代(960年~1279年)に朱熹(朱子)という儒学者がその中から独立させ、儒教の最も基本的な教えをしるした書物である四書五経の四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)の一冊としました。
「修身斉家」はその『大学』の第一章第二節にあり、第三節でも「修身」について述べられています。
解説②:
この四字熟語は、大学教育のあり方・目標を八つの段階に分けたものの中にあります。
1.天下を平らかにする
2.国を治める
3.家を斉󠄀(ととの)える
4.身を修める
5.心を正す
6.意を誠にする
7.知を致す
8.物に格(いた)る
文章だと、次のようになります。以下「」の部分は、金谷 治訳注『大学・中庸』からの引用です。
「古きよき時代に、輝かしい聖人の徳を世界じゅうに発揮し[て世界を平安にし]ようとした人は、それに先だってまず[世界の本(もと)である]その国をよく治めた。その国をよく治めようとした人は、それに先だってまず[国の本である]その家を和合させた。その家を和合させようとした人は、それに先だってまず[家の本である]わが身をよく修めた。わが身をよく修めようとした人は、それに先だってまず[一身の中心である]自分の心を正した。自分の心を正そうとした人は、それに先だってまず[心の中心である]自分の意念(おもい)を誠実にした。自分の意念を誠実にしようとした人は、それに先だってまず[意念の本である]自分の知能(道徳的判断)を十分におしきわめた。知能をおしきわめ[て明晰にす]るには、ものごとについて[善悪を]確かめることだ。
ものごと[の善悪]が確かめられてこそ、はじめて知能[道徳的判断]がおしきわめられ[て明晰にな]る。知能がおしきわめられて[明晰になって]こそ、はじめて意念が誠実になる。意念が誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。一身がよく修まってこそ、はじめて家が和合する。家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。国がよく治まってこそ、はじめて世界じゅうが平安になる。」
*和合(わごう):仲よくなること。親しみ合うこと。
*意念(いねん):気持ちや考え。思い(上記文中では意味=読みになっています)。
*おしきわめる:推し極(究)める。極(究)めるを強調した言い方。
また、第一章第三節でも「修身」について述べられていて、どのような身分にある人でも同じようにみなわが身をよく修めることを根本とするとし、それができない人が国を治めようとしても、それはなかなか難しいことだとしています。
教えるときの注意点①:
「修身」という言葉には2つの意味があって、『広辞苑』には次のように書かれてあります。
①自分の行いを正し、身をおさめ、ととのえること。
②旧制の学校の教科の一つ。天皇への忠誠心の涵養を軸に、孝行・柔順・勤勉などの徳目を教育。1880年(明治13)以降重視され、第二次世界大戦後廃止。
「修身斉家」という四字熟語においては、①の意味ですから、②と混同しないようにしてください。子どもたちから②について質問されない場合は、特に説明する必要はないと思います。
教えるときの注意点②:
「修」と「斉」については、「出直し!漢字学習」でそれぞれ解説しますので、それを参考にしてください。
なお、「斉」は「セイ」と読みます。「サイ」と読み間違えやすいので注意してください。
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