学知利行、困知勉行

読み:がくちりこう、こんちべんこう

意味:[学知利行]人がふみ行うべき道を後天的に学んで理解し、そのよさを認め、意識的に仁道を実践すること。
意味:[困知勉行]苦しんで学び努力して物事を実行すること。

出典:『中庸』<第8章> *『大学・中庸』金谷 治訳注、岩波文庫

解説①:
 まず、出典についてですが、朱子(朱熹)という人は全体を三十三章に分けていて、その場合は<二十章>となります。一方、金谷治氏は全体を十九章に分けて解説されていて、わたしはその本を元にしていますので、出典を<第8章>としています。
 「学知利行」「困知勉行」の四字熟語について解説されている辞書などは、出典が<二十章>になっているものが多いと思います。

解説②:
 この2つの四字熟語ですが、ひとつのまとまりのある文章の中にありますので、それぞれを解説するよりもまとめたほうがいいと思いました。
 以下がその箇所となります。

「世界じゅういつでもどこでも通用する道として五つのことがあり、それを実践するための手段として三つのことがある。君と臣との間の道、父と子との間の道、夫と妻との間の道、兄と弟との間の道、そして友だちどうしの交際の道、この五つが、世界じゅうにあまねく通用する道である。また、知と仁と勇との三つが、世界じゅうにあまねく通用する徳(もちまえ、身についた才能)であって、五つの道を実践するための手段となるものである。
 [この道と徳については、]生まれつきにそれをわきまえている人もあれば、学習してわきまえる人もあり、刻苦精励(こっくせいれい)してはじめてわきまえる人もある。しかし、わきまえてしまった段階では、[人びとの認識に]なんの変わりもない。また、自然にらくらくとそれを実行する人もあれば、良いことだからと意識して行なう人もあり、努力を重ねて行なう人もある。しかし、実行の成果があがった段階では、[人びとの実践に]なんの変わりもない。
 先生はいわれた、[学習好きなのは知の徳を育てることになり、実践につとめるのは仁の徳を育てることになり、わが身の恥を知るのは勇の徳を育てることになる」と。この[学習を好むのと実践につとめるのと恥を知るのとの]三つのことをわきまえたなら、わが身を修めるその修め方もわかるだろう。わが身の修め方がわかれば、人を治めるその治め方もわかるだろう。人の治め方がわかれば、天下や国や家を治める治め方もわかるであろう。」

 ちょっと長い引用ですが、前後がわかると、この2つの四字熟語の意味がわかりやすいと思います。

 この引用部分には実はもう一つ四字熟語が含まれていて、黄色のマーカーは「生知安行(せいちあんこう)」という四字熟語です。この「生知安行」とはどんな人物のことかというと、聖人のことを言っています。聖人とは、儒教において、「知徳にすぐれ、理想的な人物として崇拝される人」のことを言い、中国の伝説上の人物である堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)や、孔子などを指します。

 つまり、人には差があることを認めた上で、あきらめることなく、努力を続ければ、聖人と言われる人たちと同じようになれるということを言っているのだと思います。

解説③:
 「学」とか「勉」という漢字が含まれていると、国語算数理科社会などといった学校で学ぶ教科の勉強のことと思ってしまいますが、上記の引用にあるように、君と臣との間の道、父と子との間の道、夫と妻との間の道、兄と弟との間の道、そして友だちどうしの交際の道という5つの道を学び、そしてそれを実践することの大切さを言っています。
 こういった基本的な人間関係ができていれば、社会の秩序が保て、それが世の中の平和へとつながるのだろうと思います。
 学校での教科の勉強ももちろん大切ですが、こういった人間関係も大切にするような人間になってもらいたいと思います。

解説④:
 この2つの四字熟語に含まれる漢字は、そんなに難しい漢字ではないと思いますが、「利」「困」について、その意味を見てみます。

「利」には主に次のような意味があります。
①するどい。よく切れる。
②よい。都合がよい。ききめがある。役に立つ。
③もうける。*利益を得ること。得をすること。

 「利」は、稲(いね)や粟(あわ)といった穀物を表す「禾(カ)」と「刀(かたな)」を表す「刂(りっとう)」からできています。
 古い時代の中国で行われていた農作業では、穀物を刈り取るときに、石でできた鎌(かま)を使っていたとのことですが、それが鉄製のものが使われ始めたことから、①や②のような意味になったのかもしれません。そして、穀物を収穫して売るということが行われるようになってから③のような意味にも使われるようになったのかもしれません。

 「学知利行」での「利」は、②のような意味で使われていると思います。


「困」は、「囗(くにがまえ)」と樹木の「木」からできている漢字です。「囗」は、「囲む、めぐらす」というような意味があって、辞書では次のように解説してありました。

『漢字源 改訂第五版』
会意。「囗(かこむ)+木」で、木を囲いの中に押しこんで動かないように縛ったさまを示す。縛られて動きが取れないでこまること。
『新漢語林 第二版』
会意。木+囗。木が囲みの中にあって伸びなやみ、こまるの意味を表す。

 この2つの解字の背景には、中国古代の考え方(思想)である「五行説(ごぎょうせつ)」があるのではないかと考えます。
 五行説というのは、自然界のあらゆるものは「木・火・土・金・水」の5つの要素に分類でき、これらは相互に助け合ったり、抑制し合ったりすることで自然界のバランスを保っているという考え方です。そして、その中の「木」は、「春の象徴。木の枝や幹が花や葉で覆われている立木が元となっていて、樹木の成長・発育する様子を表す。」とのことです。これは単に「樹木」に限ったものではなく、生物(生きもの)の一例であり、「生きものの成長や発育」というふうに理解するといいかと思います。そして、「囗」は「囲む」という意味から「閉じ込める」という意味ともなり、「困」という漢字ができたんだろうと考えました。

 「困」には、「苦しむ」「困る」といった意味がありますが、「困知勉行」では、「苦しむ」意味となります。

*参考資料:
・中国古代社会の農業構造論(中)ー殷王朝の農業構造ー『農村研究』22号、広沢吉平、
 東京農業大学農業経済学会、1965年12月、p. 72-92
 https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010846233.pdf
・殷の稲作について─ 甲骨文字の再検討から浮かぶ水稲の重要性 ─『農耕の技術と文化』28、
 池橋 宏(2019)p.19-24
 https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/278670/1/nobunken_28_019.pdf 
・五行思想、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3




 

 

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