077:縁木求魚

読み:えんぼくきゅうぎょ
意味:不可能なことのたとえ。
出典:『孟子』<梁恵王章句・上>

解説①:
 この四字熟語は、「木に縁(よ)りて、魚(うお)を求む」とも読みます。「縁りて」とは、「よじ登る」ことです。
 意味に、「不可能なこと」とありますが、「目的に対する方法や手段が間違っているため」という前提があって、この前提がこの四字熟語では大切な意味となります。

解説②:
 では、出典部分の現代語訳を元に要点をまとめてみます。*『孟子(上)』小林勝人訳注、岩波文庫

孟子:王様は戦争を起こしたり、家来を危険な目にあわせたり、まわりの国々に怨みの種をまくようなことをなさって、お心は愉快ですか。
王様:いや、そんなことはない。ただ、自分には大きな望みがあるからだ。
孟子:では、その大きな望みとはどんなお望みでしょう。美味い肉や珍味を戦争によって得たいからでしょうか。軽くて暖かい衣装や美しい彩(いろど)りの装飾品、美しい歌舞や音楽、お気に入りの近臣の数が足りず、もっと得たいからでしょうか。
王様:いや、そんなことではない。
孟子:はい、わたしもそのようなことではないとよくわかっております。領地を広め、まわりの国々だけではなく蛮族(ばんぞく)までも手なずけ、君主として中国を統治・支配なさりたいとお考えなのでしょう。しかし、今までのようなやり方では、まるで木によじ登って魚をとるようなものです。
王様:そんなに無理なことだろうか。
孟子:いや、それよりももっと無理でしょう。木によじ登って魚がとれなくても、ただ魚がとれないだけのことで後に災難を招くことはありません。しかし、今までのようにやたらに戦争を引き起こして大きな望みを叶えようとなさっても、それはできないばかりではなく、必ずまわりの国々に怨まれて、大きな災難を受けることになるでしょう。今、天下には九つの大国があります。王様の国はたったその一つでしかありません。たった一つで八つを征服しようとなさっているということです。そんな大それた戦争などをなさるよりも、政治の根本に立ち返って王道を進むべきです。もし王様が政治を振るいおこし、仁政を施(し)かれたなら、天下の役人はみな王様に仕えたいと望み、農夫はみな王様の田畑で耕したい、また、商人はみな王様の市場で商売をしたいと願って移ってくることでしょう。旅人はみな王様のご領内を通行したがるようになり、かねてから自分の国の君主を快く思わないものは、みな王様のもとへきて、訴え相談したがるようになるでしょう。もし、このようになったら、誰がいったいそれを止めることができるでしょうか。

解説③:
 解説②のようなやりとりがあったあと、孟子は王様から具体的な手段・方法を問われます。そこで孟子は、人民の生活の安定を第一に挙げました。それは次のような手段・方法です。

 まず、法律にしたがって、一世帯ごとに住むための土地と田を分け与え、そのまわりに桑を植えて養蚕(ようさん)をさせます。そうすると、五十過ぎの老人はふだんでも絹物が着られます。また鶏・子豚・食用犬・牝(めす)豚などの家畜を飼わせて、子を孕(はら)んだり育てているときには殺さないようにさせると七十すぎの老人は肉食ができます。農繁期に力役(りきえき)や軍事などに駆り出さなければ、分け与えた田地で八人ぐらいの家族ならば、まずひもじい目にはあいません。
 次には学校での教育を重視して、特に大切な親への孝・目上への悌(てい)の道徳をよく教えて、その精神をひきしめれば、若い者は老人を大事にするようになり、老人が路上で重い荷を頭に載せたり背負ったりする風景はなくなります。老人が絹物を着てうまい肉を食べ、一般庶民が飢えも凍えもしない。このような政治を行って、ついに天下の王者とならなかった人は、昔から今までにまだ一度もありません。

解説④:
 今と昔は時代が違いますので、具体的な手段や方法が今の時代に通用するかどうかはわかりませんが、それでも、「生活の安定」「両親や、老人・目上の者を大切にする」といったことは今も昔もかわりなく大事なことだと思います。そして、このことが何千年も前から言われていることに驚かされます。
 今の日本では戦争こそおこなわれていませんが、その他の点については学ぶべきことの多い内容だと思います。ただ四字熟語の意味を覚えるだけではなく、その四字熟語の背景にあるこのような内容も教えてもらいたいと思います。

解説⑤:
 この「縁木求魚」に含まれる、「縁」と「求」についてはそれぞれ、「出直し!漢字学習」で解説したいと思います。のちほど掲載し、リンクを張りますので、そちらをご覧ください。

*参考資料
『孟子(上)』小林勝人(かつんど)訳注、岩波書店 *岩波文庫


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