「良知良能」という四字熟語を調べていたとき、「知」と「智」の関係や成り立ちについて面白いことがわかったので、忘れないようにメモしておきたいと思います。
いつもは漢字の成り立ちからみていくんですが、今回はまず先に意味をみてみます。
知(音読み:チ 訓読み:しーる、しーらせる)
①し―る。物事の本質を正しく見通す。ずばりと当てる。感覚や判断・記憶などの働きを含めていう。
②し―らせる。相手がしるようにする。「通知」
③物事を正しく見抜く力がある。また、その力をそなえた人。「知者」
④交際して相手をよくしっている。その値打ちをよくしっている。しりあい。「旧知」
⑤州・県の役所の仕事をよく心得ている。また、そのような人。主任や地方の長官。「知事」
⑥陽明学派で、良知(人間固有の良心)のこと。「知行合一」
*物事の本質を見抜く能力。ちえ。[同義語]智。
『漢字源 改訂第五版』より
智(音読み:チ 訓読み:さとーい)
①さと―い。物事をずばりと会得したり、当てたりできる。知恵や術にすぐれている。
②物事をとらえて、理解する働き。知恵。
③賢いと思う。
『漢字源 改訂第五版』より
このように、「知」と「智」は同じような意味を持っていて、言い換えや置き換えであったり、「知」は「智」の略字である場合もあります。
大きな違いは訓読みでもわかるように、「智」は「知力が優(すぐ)れている」というような意味合いで用いられるように思います。
では、これから「知」と「智」の成り立ちをみていきたいと思います。
本当はこのページに古い字形を掲載したいんですが、著作権やリンクの制限などがありますので、参考にしたサイト名とアドレス(住所)を紹介します。アドレスをコピー&ペーストして、グーグルなどで検索してください。
1)小學堂字形演變
「知」:https://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/yanbian?kaiOrder=1035
「智」:https://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/yanbian?kaiOrder=2603
2)中華語文知識庫ー漢字源流ー
「智」:https://www.chinese-linguipedia.org/search_source_inner.html?word=%E6%99%BA
まず、1の「知」と「智」をみてみると、「智」は一番古い「商(殷)」の時代の甲骨文字がありますが、「知」にはありません。ただ、「知」の甲骨文字が見つかっていないだけかもしれませんので、無いというだけで、「智」という漢字が先に作られたとは言えないのかなとも思います。
しかし、いずれにしても、「知」あるいは「智」が持つ意味を表そうとして文字ができるわけですから、1の「智」のページでその字形の変化を眺めていると、ただ単に誤って変化したのではなく、「知」や「智」の持つ意味をよりわかりやすくしようとして時代と共に改まっていったのではないかと考えます。
また、2の「智」の字形の変化をみると、どうも2系統あるようです。
ひとつは、
「示+口+矢」
という組み合わせで、もうひとつは
「大+口+子+冊」
という組み合わせでできています。同時代にこのような違いがあるということは、「智」という意味を表そうとした人たちに考え方の違いがみられたということなのかなあと理解しています。
この2の組み合わせにある「口(くち)」は、白川静氏の説にある「祝詞(のりと)などを入れる器の形=サイ」なのかもしれません。
ここで、この2つの成り立ち(組み合わせ)についてみてみます。
「示+口+矢」
「示」:神事・祭事に用いる台の形。
「口」:人体の「くち」。*白川静氏の説「サイ」のようにも思える。
「矢」:いわゆる弓矢の「ヤ」の形。*大人を意味する「大」にも見える。
こうしてみると、あれっ?、これで「智」?と思われると思います。今の「智」という形ではないと理解してください。
この3つの漢字を総合して考えると、
「神様になんらかのお供え物をして、神さまからのお告げを聞く=さとる、知る」
というふうに考えられたのだろうと思います。「矢」があるのは、おそらく矢が神事に用いられることからだろうと推測してます。ただ、「矢」ではなく「大」だとしたら、「人が神さまにお供え物をしてお告げを聞く」というふうに理解しやすいかもしれません。
「大+口+子+冊」
「大」:人が手足を広げて立っている姿。
「口」:人体の「口」。*ここでは白川静氏の説「サイ」ではないと思います。
「子」:頭を大きく描いた子ども(乳児?)の姿。
「冊」:文字を記した札をひもで編んだ形にかたどり、文書の意味。『角川新字源 改訂新版』
大人が子どもに文書に記されたことを教えている様子のようです。それで、「さとる、知る」という意味を伝えたかったのだと思います。しかし、この字形ではうまく「さとる、知る」という意味が伝わらなかったためか、あるいは「教える」の「教」という漢字もあったためか、甲骨文字の次の時代には、この組み合わせは無くなってしまっています。
以上、いろいろと書きましたが、ようするに、「知」「智」といった意味を表そうとしたが、なかなかうまく伝わらず、時代時代でより伝わりやすい字形に変化していって、今の字形「知」「智」に落ちついたのだと思います。
コメント