「浩」と「告」

 「助長抜苗」という四字熟語に関係する「浩然の気」「浩然の気を養う」の「浩」について、その成り立ちや意味、そして「浩」の旁(つくり)になっている「告」についても調べましたので、その結果を残したいと思います。いつものことながら、最後の結論はわたしの勝手な憶測です<苦笑>。

 まず、「浩」と「告」の意味を確認します。

「浩」:『漢字源 改訂第五版』より。
①水が豊かで、ひろびろとしているさま。
②ひろ―い。広大なさま。
③おお―きい。堂々としていておおきい。
④おお―い。数量がおおく盛んなさま。ゆたか。
*『角川新辞源 改訂新版』には「おごる(驕、傲)」という意味もありますが、①~④が広すぎる、大きすぎる、多すぎる、というように、なんでも度が過ぎると思い上がった態度をとったり、いい気になったりするといった悪いほうへ向かうということだろうと思います。

「告」:『漢字源、漢語林、角川新辞源』を参考にまとめました。
①知らせる。教える。諭(さと)す。広くことばで人に話しきかせる。
②申し上げる。訴える。下の者が上の者につげる。
③問う。尋(たず)ねる。

 2つの意味の確認ができましたので、次に成り立ちをみていきます。

「浩」は、
「氵」(みず[水]、さんずい)+「告」(コク、つーげる)

「氵(水)」は、水の流れを象(かたど)った文字で、液体の「みず」を表す他、水の状態や水をともなう動作なども表します。

問題なのは、「告」です。ただし、あくまでも、「告」の成り立ちに関してです。単漢字としての動物の”牛(うし)”と人体の”口(くち)”のことではありません。

「牛」(?)+「口」(?)

以下の辞典では次のような説明をしています。
『漢字源 改訂第五版』
会意。「牛+囗(わく)」。梏コク(しばったかせ)の原字。これを、上位者につげる意に用いるのは、号や叫と同系のことばに当てた仮借字。▽「説文解字」では、つのにつけた棒が、人に危険を告知することから、ことばで告知する意を生じたとする。
『新漢語林 第二版』
会意。口+牛。牛は、甲骨文では、とらえられた牛の象形。いけにえとしてとらえられた牛をささげて神や祖霊につげるの意味を表す。
『角川新字源 改訂新版』
会意。口と、牛(うし)とから成り、牛の角に付ける横木の意を表す。牛が横木を人に当てることから、「つげる」、知らせるの意に用いる。

 このように、『漢字源』は「くち」ではなく、「わく」とみています。『新漢語林』『角川新辞源』ともに読み仮名がないため、判断できませんでした。

 では、わたしの考えはというと、「口」は白川静氏の説にある「祝詞(のりと)などをいれる器の形=サイ」だと思います。そしてそれは祭祀をイメージさせます。
 「牛」は動物の「うし」で、いわゆる犠牲(ぎせい)だと考えますが、白川氏は「告」の上の部分は「牛」ではなく「木の小枝」だとされていますので、判断に迷うところですが、わたしはやはり動物の牛のように思います。
 なんらかの祭祀において、犠牲となる「うし」をお供えして祈り、神様のお告げを聞く、あるいは神さまに何かを申し上げようとしているのだと思います。

 ではなぜ、わたしは「牛」だと考えたのかというと、次のような記述がその判断のもととなっています。

・中国古代では礼楽では祭祀にともなって、牛が重要な供犠(くぎ、きょうぎ)の一つであった。
・天と地を祭る儀式である郊祀を行うにあたり、『礼記』曲礼篇には「天子は犠牛を以ってし、諸侯は肥牛を以ってす」と記されている。また、『周礼』大使徒には「五帝を祀り、牛牲を奉ず」とみえる。
・礼書にみえる犠牲の序列としては、牛の飼養と供犠がもっとも重視されたことは『大戴礼記(だたいらいき)』曾子天園の記載によって知られる。
・中国古代の礼制では祭祀の際には牛を屠(ほふ)ることが、最上の行為であったことが知られる。
『東アジアにおける殺牛祭祀の系譜-新羅と日本古代の事例の位置づけ-』門田誠一

 また、上述にある「天と地を祭る儀式である郊祀」について、「告」の意味と関連のある記述がありました。以下、引用です。
「中国古代文明においては、世界を異なる層に分けることが重要な観念の一つであった。なかでも”天”と”地”の区別は重要であった。異なる層の間は、完全には隔絶されておらず、往来も存在した。中国古代の多くの儀式や宗教思想、宗教行為はまさに、世界の異なる層の間における疎通をその任務としていた。」『古代中国の祭祀文化をめぐって』朱新林

 つまり、古代の中国で行なわれていた「天」「地」を祭る儀式と犠牲となる「牛」は深い関わりがあったということが言えると思いますし、「告」には天と地を想起させる意味合いがあると捉えられていたんじゃないかと考えました。そしてそれに大河や海の広さを想像させる「水」が加えられ、「浩」という漢字が作られたのではないかと考えました。
 そう考えると、「浩然」「浩然の気」「浩然の気を養う」という意味が理解しやすいように思います。

*参考資料
『東アジアにおける殺牛祭祀の系譜-新羅と日本古代の事例の位置づけ-』門田誠一、佛教大学 歴史学部論集 創刊号(2011年3月)、(*この資料は佛教大学論文目録リポジトリに保存されています。)
https://bukkyo.alma.exlibrisgroup.com/discovery/fulldisplay?context=L&vid=81BU_INST:Services&docid=alma991006874854506201

『古代中国の祭祀文化をめぐって』朱新林、コラム&リポート、文化の交差点【16-05】、科学技術振興機構、2016年5月12日(*この資料は国立国会図書館インターネット資料保存事業[WARP]により国立国会図書館に保存されています。)
https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/13982669/spc.jst.go.jp/experiences/change/change_1605.htmlni









コメント

タイトルとURLをコピーしました