義:教育&常用漢字、漢検6級

 「先義後利」という四字熟語について調べていたとき、「義」の成り立ちについて疑問が出てきました。いろいろと調べてみましたが、結局わかりませんでした。”わからなかった”ということを前置きして、自分なりに考えたこととその過程を備忘録として残しておきたいと思います。

音読み:ギ
訓読み:よーい
意味:*『新漢語林 第二版』より
①よ-い(よし)。正しい。道理にかなっている。ものの処置・対応が適切である。態度・行動が礼にかなっている。
②のり。みち。ひとの踏み行うべき正しい道。公正でそうあるべき道理。特に、儒教における五常(仁・義・礼・智・信)の一つ。
③人道・公共のために尽くすこと。名誉や利益をはなれて正しい道に従うこと。また、他人のために自己を犠牲にすること。
④わけ。意味。意義。
⑤かり(仮)。代用の。人工の。また、名目上の。

まず、「義」の組み合わせですが、
(ヨウ、ひつじ)+我(ガ、われ、わー(が)
という理解でいいと思います。また、「羊」は、いわゆる動物の「ひつじ」を象(かたど)った文字であるとみていいと思います。

 わたしが疑問に思ったことは次の2点です。

1)「羊」と「我」の組み合わせで、なぜ「よい、正しい」といった意味になったのか。
2)「我」の成り立ちと意味。

いくつかの漢和辞典の「義」の成り立ちの解説をみてみます。

『漢字源 改訂第五版』
会意兼形声。我は、ぎざぎざとかどめの立ったほこを描いた象形文字。義は「羊(形のよいヒツジ)+(音符)我」で、もと、かどめが立って格好のよいこと。きちんとして格好がよいと認められるやり方を義(宜)という。
『漢字源 改訂第五版』
形声。羊+我。音符の我は、ぎざぎざの刃のあるのこぎりの象形。羊をいけにえとして刃物で殺すさまから、厳粛な作法にかなったふるまいの意味を表す。
『角川新字源 改訂新版』
会意形声。羊と、我(のこぎりの象形)とから成り、神前で犠牲の羊をのこぎりで切ることから、敬虔(けいけん)な気持ちを表し、ひいて、「みち」「ただしい」意に用いる。
『字通』*コトバンク
会意。羊+我。我は鋸(のこぎり)の象形。羊に鋸を加えて截(き)り、犠牲とする。その牲体に何らの欠陥もなく、神意にかなうことを「義(ただ)し」という。*截(セツ、きーる、たーつ)は、断ち切る意味。鳥を戈(ほこ)で小さく切る様子。

 上記の解説で、『漢字源」は「我」を音符としてみていて、義の持つ意味に関連性はないとみているようですが、他の辞典で共通しているのは、刃がギザギザになっている物で羊を殺し、神前に犠牲・生け贄として供えるための道具とみている点です。
 しかし、その行為からなぜ「よい、正しい」という意味になるのか、なんとなくわかったようなわからないような・・・、どうにも腑に落ちません。そこで、いろいろ調べているうちに、次のようなことがわかってきました。

①中国では、古くから羊(山羊?)を飼っていた。
②中国では、羊は神へのお供えものである他、美味な食べ物でもあり、また、縁起のいい動物として珍重されていた。
③古代人たちが羊の角をアクセサリーとして頭に着けて踊っていた。
④中国の伝説に獬豸(かいち)という動物がいて、小さいものはヒツジに似ているとされているそうです。人の紛争が起きると、角を使って理が通っていない一方を突き倒す(その後突き倒した人を食べるという伝説もある)と言われ、次第に正義感のある性格付けがなされてゆき、正義や公正を象徴する祥獣(瑞獣の一種)となったとのことです。

 以上のような羊のイメージから、羊を含む漢字には「よい、正しい」といった意味が含まれるようになったのではないかと考えます。

 しかし、「羊」に上記のような特徴があるということまでは納得できたのですが、ではなぜ「我」が加えられているかという点がなかなかわかりません。

 そこで、①②③をもとに仮説を立ててみました。その仮説は、

⑤家畜として飼うさいに、羊同士がけんかなどでお互い傷つけ合わないように角を切っていた。
⑥放牧するさいに、のこぎりで、自分(たち)の羊だとわかるような何らかの印を刻んだか、特徴ある切り方をした。
⑦獬豸(かいち)の画像やイラストをインターネットでみてみると、一本の角があって、そしてそのまわりの毛は逆立(さかだ)っています。この逆立っている毛の様子を「ぎざぎざしているもの=我」で表そうとした。つまり、「義」=獬豸(かいち)なのかもしれない。

 古い時代に⑤⑥のようなことが行われていたという資料があったわけではありませんが、現在、除角(じょかく)が行われていたり、牛などにはタグが取り付けられていたりすることを考えると、方法は違っても同じような目的のことが行われていたのではないかと考えました。ただ、羊の角は鹿の角と違って、頭蓋骨とつながっていて血管が通っているそうです。今の時代は止血できますが、当時はどうやっていたのかというのが問題です。この問題を解決できるような資料がみつかるといいのですが、今のところ見つかっていません。
 ⑦については、まったくの妄想のようなものですが<苦笑>、「義=獬豸(かいち)」と思って、獬豸(かいち)の画像を見ていると、そのように見えてしまいます。著作権の問題で、このページには載せませんが、インターネットの検索で「かいち ひつじ」と入力すると画像が出てきますので、興味のある方はみてみてください。『Wikipedia』の獬豸(かいち)像(北京・紫禁城)はまさに「義」のイメージです。ただし、羊にはみえませんが・・・<笑>。

 最後に、わたしが考えた「義」と「我」の成り立ちをまとめてみます。

・「義」は「羊」と「我」からなり、「義」の持つ意味としては、ほぼ「羊」の持つ意味となっている。「我」が加わっているのは、音符としての要素の他、「角」を切るときは刀ではなく鋸のほうが切りやすかったためだと思われる。
・「我」は元々「ぎざぎざした刃物」を表す漢字としてできた。のちに、羊の角を切るためにも使われるようになり、その切り方で所有を表すようになっていったため、一人称を表す「われ」という意味に用いられるようになった。本来ならば、「義」にも「われ」という意味があるはずだが、混同を避けるため、その意味は「我」だけに使われるようになった。
・「義」は、獬豸(かいち)という中国伝説上の動物のすがたを表している漢字。

 以上、勝手な思いつきですが、「こんなことを考えた」という備忘録として、残しておきます。

*参考資料
『羊に関するイメージ一考察ー中国のことばと文化 ー』鄭 高 咏 、愛知大学 言語と文化 No.9
https://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO9/10.pdf
「義」のはなし『かんじのはなし』yumemivision
https://yumemivision.blog.jp/archives/17390726.html
「鋸ー2鋸の発達史」『大工道具の紹介』竹中大工道具館
https://www.dougukan.jp/tools/12
講演Ⅰ古代の鋸「鉄の古代史ーひろしまの鉄の歴史」平成27年度ひろしまの遺跡を語る、(公財)広島県教育事業団埋蔵文化財調査室長・伊藤 実
https://www.harc.or.jp/gyouji/pdf/y2015/koukogakukouza/h27hiroshimanoisekiwokataru.pdf
中国の刀剣『刀剣の専門サイト刀剣ワールド』東建コーポレーション
https://www.touken-world.jp/tips/7433/
獬豸(かいち)『Wikipedia』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%AC%E8%B1%B8


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